「断捨離」をし、心身ともにすっきりして自由にいろんなことを味わいたいな、と思っている私ですが、実は最近、そのことに関係するような出会いがありました。

 

 

本屋さんで偶然見つけた雑誌で、実際の雑誌名と特集のタイトルは忘れてしまったのですが、

「ひとり時間を充実させる」みたいな特集が組まれていました。


その記事は、一人時間を大事にし自分らしく過ごしている実在の人や、本の中の登場人物について取り上げられていました。

 

 

そして、この雑誌の表紙が私の大好きな「スナフキン」だったのです。

 

私はスナフキンに対してはミヒャエル・エンデの「モモ」に対する憧れと似た気持ちを持っています。

 

放浪の旅暮らしという自由さ、集団には属さないけど友情を大切にしているところ、

 

物は所有しないけど大切なものは全て心の中にあるという豊かな感性、

 

そしてもちろん、一人の時間を大切にし豊かに過ごしているところ。

 

 

私にとっては究極の憧れの人です。

 

「ザ・水瓶座」のような人だと思います。

 

きっと私の月が完全に満たされたら、私はこんな生き方をするのだろうなと想像できます。

 

 

でも、月を満たすにはこれで十分ということはないのだそうです。

 

常に欠けている要素を月に与え続ける必要があるのだそうです。

 

 

私の双子座の月は「人とのフラットな関係におけるコミュニケーション」を常に求めますし、12ハウスにあることで、「人との情緒的に豊かなつながり」を求めます。

 

また、ドラゴンヘッド蠍座のため「一体化する対象」も求めています。

 

 

よって、水瓶座の太陽は「自由」に憧れつつも、自分のコアな部分は「人と濃く関わりたい」というように、自分の中に、大きな矛盾を抱えています。

 

 

本心としては「自由なんて1個もなくていいから、共鳴し合える人のそばにいたい」です。

 

一方的に束縛されるのは嫌ですが、お互いに必要なものを与え合い満たし合えるなら、どこにも行かなくていい、他の誰とも関わらなくていいです。

 

 

私にとって「一人の人間」とは「広大な宇宙」と同じです。

 

どこまでも深く潜れるし、一緒に居ることで互いに影響を与え合いどこまでも変化していけます。

 

私にとって「たった一人と深く関わる」ことは、「世界中を冒険する」ことや「宇宙の神秘を研究する」ことと同じです。

 

 

だから、私にとって「たった一人と深く関わる」ことは、「自由」とは真逆のことではなくて、

 

実は「自由」そのものである気がします。

 

 

そう考えると、自分の中の「矛盾」だと思っていた要素が、実はちゃんと一つの方向を目指していたんだと思え、とても嬉しい気持ちになります。

 

 

そして、私の「スナフキン」に対するイメージも変化しました。

 

スナフキンの「自由」とは、ただ「一人の時間を楽しむため」だけのものではなく、実は「より人と深く関わるため」つまり「人と豊かな時間を過ごすため」に、「自分とじっくり向き合うもの」でもあるのではないかと思いました。

 

私にとって「届かない憧れ」的な存在だったスナフキンが、「目指せる、手の届く存在」としてより身近に感じられました。

 

私自身も、より、人と豊かな関りが出来るように、自分と向き合う「一人時間」を大切にしていこうと思います。

 

 

 

 

それではまた。