前回、「モモが、人の持つ根源的なエネルギーを受容することで、その人本来の力が引き出される」ことについて、「物理学の観察と現象の関係に通じる」気がすると、書きました。

 

 

これはどういうことかと言いますと、物理学には「観察者効果」という言葉があります。

 

この言葉は、物理を習っていた高校時代ではなく大人になってから知り、とても意味深いなと思い、印象に残っていました。

 

(言葉そのものは忘れ、意味だけなんとなく覚えていたのでさっき調べました。)

 

この意味は、「観察するという行為そのものが、観察される対象に変化を与える」ということです。

 

 

「観察」とは、「物事に対し先入観を持たず、判断もせず、ありのままを認識する」ということかと思います。

 

(そういえば私の習ったナイチンゲールの看護学原論にも「観察」の大切さがありました。)
 

 

モモの「受容」は、「観察」と似ている気がします。

 

「対象に変化を与える」ことも似ています。

 

 

「観察者効果」についてもう一度よく考えてみると、何かを観察するとき、光を当てたりしますよね。

 

光というのはエネルギーですから、対象にエネルギーを与えてしまっているわけです。

 

そのことにより対象の状態は変わってしまう。

 

・・・そういうことかな、と思います。

 

 

では、モモの「受容」はどうか。

 

モモは、相手のエネルギーを受容しているようだけれど、相手にエネルギーを与えてもいるのか。

 

 

ここでまた思い付きました。

 

「共感」です。

 

私はこのブログを人に「共感」してもらいたいと始めましたが、「受容」と「共感」は似ていると思います。

 

 

「共感」は「共鳴」とも似ています。

 

「共鳴」といえば、物理学で出てきた「音叉」です。

 

「振動数の同じ二つの音叉のうち、ひとつを鳴らすと、もう一つも激しく鳴り出す」というものです。

 

 

振動数の同じものが関わるだけで、鳴らしてもいないものが鳴る。

 

これは、「振動数の同じものは、相手のエネルギーを増幅する」と解釈できるのではないでしょうか。

 

 

「相手にエネルギーを与える」ではありません。

 

それだと、自分のエネルギーが減る感じがするからです。

 

「自分の身を削って相手に与える」のではなく、「自分のエネルギーを保ったまま、相手のエネルギーを増幅させる。」

 

それがこの「音叉」の意味するところ、つまり「共鳴」の意味だと思います。

 

 

 

モモは、相手に「共鳴」することで、相手のエネルギーを増幅している。

 

そしておそらく、増幅した相手のエネルギーに更に「共鳴」することで、モモ自身のエネルギーも増幅される、という循環も起こっているのではないでしょうか。

 

つまりモモは「共鳴」により、互いのエネルギーを増やし合っているのです。

 

 

「共鳴」するには振動数を同じくすることが必要です。

 

モモが振動を同じくしている部分は、相手のどこでしょうか。

 

表面的な怒り、不安、迷いといった感情でしょうか。

 

そうではなく、先にも書きました、相手の持つ「根源的なエネルギー」ではないかと思います。

 

 

ではなぜモモは、そのエネルギーに振動数を合わせられるのでしょうか。

 

それは、モモも同じエネルギーを持っているからです。

 

更にモモは、自分の持つ根源的なエネルギーを感じ取れてもいるから、相手のそれにも共鳴できるのでしょう。

 

(私はこの「共鳴」が、モモの「時間の捉え方」に影響している気がします。

 そのことについては後程考えたいと思います。)

 

また、その根源的なエネルギーというものは、人類みな共通なのではないでしょうか。

 

或いは、動物や自然、果ては宇宙の星々まで同じかもしれません。

(何しろ、モモはそれらに「共鳴」できるのですから。)

 

ここで私は、大好きな漫画、さくらももこさんの「コジコジ」を思い出します。

 

「コジコジ」については、改めて記事にしたいと思っていましたが、思いがけずここで、「コジコジ」の中でも私の最も好きな場面とつながってしまいました。

 

その場面は、コジコジが親友のミミズと、「どんな服装をしていても自分は自分」ということを、話しているところです。

 

コジコジ 「コジコジもコジコジだよ。どんなときもコジコジだよ。」

 

ミミズ  「そりゃそうさ。誰でもいつでもそうなのさ。」

 

ミミズ  「誰でもいつでも生き物で命なのさ。同じエネルギーが流れているのさ。」

 

 

私はこの「どんな生き物にも同じエネルギーが流れている」という言葉が、とても好きで、ずっと大切に思ってきました。

 

こんなところで「モモ」とつながるなんて、とても感慨深いです。

 

 

このことを人間同士として考えると、「人は皆、表面上の感情や考えは違っても、心の奥底には同じエネルギーが流れている。そのエネルギーに共鳴し合うことで、互いのエネルギーを増やし合うことができる。」ということになります。

 

また、動物、自然、星々についても、人と同じエネルギーが流れていると考えると、同じように考えることも可能かと思います。

 

 

これまで、モモが行っている「受容」と「観察者効果」を関連付けて考えていく中で、「共鳴」という概念にたどり着きました。

 

次回は、これらのことと、モモの「時間の捉え方」について関連付けて行きたいと思います。  

 

 

 

 

ではまた。