いつも現実逃避
いつも他人と比べる
そんな私は幼少期から。





大学進学を早々に楽をして逃げて決めた。

友人が皆、受験戦争の最中、
優越感に浸りながらも私はアルバイトを始めた。

お嬢様高校、アルバイト禁止、恋愛もしたことがない私にとっては、

痩せた身体で可愛くなったと思い込む、
さらに新鮮な自分がいた。

とある日、初のアルバイト先、
夜、私の歓迎会をしてくださるということ。

嬉しいはずなのに、どこか不安で、
昼間から大人に近づきそうな自分がいた。

そわそわ感とは裏腹、何故か、心が揺れていた。

心休める為に、
拒食の身体で
一口食べたおせんべいのはず。




が、

止まらなくなった。





加速度がつき食欲が止まらない。

何を食べたかは覚えていない。
手当たり次第に身体に流した。


当時吐くという手段を知らなかった私は
当然夜の会をドタキャンした。

いつも優等生、いい子できた私にとって、
とんでもないことをしてしまった罪悪感。



この日以来、ミニトマトひとつ
朝昼に食べるという行為が怖くなってしまった。
 
トラウマなり、その後、50歳の今も
朝、昼、口にものを入れる行為が
怖くなっている。







本日もブログにお立ち寄り下さいまして
ありがとうございます。

ご挨拶よりも先に、
前置きが長くなりましたこと、
お詫び致します。

摂食障害、アルコール依存、
家庭も人生も壊しかけた管理栄養士山藤です。


お恥ずかしながら、
今もなお、摂食の異常は根付いてます。

お酒をやめ3年
ハードルを下げて、自身に向き合う今
やっとそこに気付くことができました。


決まった時間にしか食べられないSED

夜しか食べられない!!

特定のものしか食べられないSED


(この私にとっての特定のものについては
  別のブログでお伝えしたいと思います。)



夜以外の摂食が怖いは、
あの頃、若い頃のままでした。。


朝昼の食事をとることに対しての不安感。

その代わりの夜の過食は習慣化。

アルコール依存と化してからも同じ。
断酒してからも同じ。


理想的な食生活ではないと、
職業柄にも、
わかっているのに、
行動変容が難しい部分です。


今回も時系列に
振り返ってみることにしました。

かなり長文ですが、
お許しください。








【高校時代】
中学後半、食への異常な執着と
体重への敏感固守、拘りが目覚め、

高校時代で更に悪化を辿ります。

ダンス部、
極端な体重制限、りんごダイエットをする親友。
彼女より痩せること、
当時の私の目標でした。


(幼少期のまんま
 ここもいつも他人と比べる私)


食堂で売られるヨーグルトひとつ
唯一の昼の楽しみ…。




【大学時代】
食を大切するメンバーの集団
栄養士の卵達の友人と一緒に
飲食を共にすること、

とにかく苦痛でたまりませんでした。

調理実習の後の試食は食べない理由、
言い訳ばかりを探していました。

ほとんどの授業をバイトに費やしており
決して真面目な学生ではありませんでした。

現実逃避していました。

昼間飲まず食わず、
流行りのエアロビクスの為に
ジムに入り浸る。

何本もレッスンをこなし、
最大限のカロリー消費。

夕方から夜中までは、
アルバイトにあけくれ

深夜明け方に
自部屋引きこもり
1日分の過食行動。

それでもスレンダーな身体をキープできる自分に
満足しておりました。





【就職】
こんな私だから管理栄養士になった暁にも
給食関係の仕事なんて希望するわけもありません。

20代のうちに、味見が必要とされる、
給食関係の職につかなかった一番の理由は
ここです。

栄養士の肩書は捨てて
普通の食品メーカーの外回りの営業職を希望、
やはり逃げました。

(ここも逃げた、
 いつもの私のやり方は
 逃げること)

営業なら昼食時間も1人だ。
そんな浅はかな理由の社会人のスタートでした。

1人営業ならば誰かと共に昼食の場も少ない
はずだと思っておりました。

それでも内勤時、社交の席での昼食の場は
避けられない事も多く
食べない理由をいつも
言い訳、その場凌ぎの嘘を考え、
取り繕ってごまかしました。

(食にも向き合わない、ここも逃げ)

同僚上司に食事の席を断る理由を
頭の中でいつも考え、

仕事中も頭の中はいつもそれだけで
過ぎていました。

偽りの自分作りに懸命でした。

コンプレックスのかたまりと
自己肯定感の低さの人間形成。





しかし、

でも、

夜の席だけは別だったんです。





お酒という魔力が
私の社交性を強化してくれました。

お酒に強い自分を
誇りにも感じていました。

お酒の力があれば

1番の悩みがクリアできる

=普通に、食事ができる人


さらにお酒があれば

人一倍

食べられる人になれる。

大食いでも痩せている、

そんな私でいられる。



お酒の力を信じていました。
この頃から
お酒が私の親友になります。

お酒が食べれる勇気

健康的に食べる私を作り

多くのパワーを

与えてくれました。


(ここも逃げてたんですね、
 いつもの私のやり方、

 酒に逃げることで
 現実の食べる行為に
 向き合えていないこと、

 いまさら気づいております。)




やがて

摂食障害はゆるゆると

アルコール依存へと

姿を変えていきました。

まだまだ緩やかな

アルコール依存の

スタートライン。






【家庭】

あの10代後半のアルバイトのドタキャンが
常にトラウマになっておりました。

30代、結婚をした後も子育てをしながら
昼間家に滞在することが怖かった。

子供を寝かしつけ、
いいえ、
子供が泣いていても、
飲み食い吐きをしてしまう。

妊娠中も
大きなお腹で吐く
食べて吐く食べて吐く。


そんな自分から遠のく為に
とにかく家にいるのが怖かった。



子供達3人を託児所に預け、

もしくは幼稚園、小学校の合間をみては
日中はとにかくジムで汗流す

カロリー消費が歯磨きと同じ日課、

必須条件、
私の生きる道

生きる手段でした。


(ここもまさに
 子育てと現実からの逃避

 そして
 DVの夫ともきちんと向き合えず
 痩せる身体に執着することによる現実逃避

 家族時間は酒に逃げた、
 アルコール病の加速)


【40代】

栄養士の仕事に就いていない人生を悔やみ、

仕事の面で私の人生挑戦が始まりました。

というのは、名目上。



本音は
本心は、

DVの夫からいつか自立したい、
当時はその一心でした。


ここも嘘偽りの人生。






ですが、この社会復帰。

ハードルの高い生活とは裏腹に
お酒の問題は加速しエスカレートし
家庭も私自身の心も壊れていきました。









まさに
地に足がついていない生き方をしてきました。

ずっと。

ずっと。












そんな自分が
やっとみえました、

今。


★(いつも誰かと比べる私)
★(いつも現実から逃げている私)


もしも、

摂食障害でなかったら
人生の選択肢も

仕事選びも
巡り会う出会いも
恋愛も

人生もまるごと
全く違うものだったなとも思います。








でも

でもねっ、

これからは

前向きに捉えていきますよ!


SED摂食障害
夜間過食摂食障害

このおかげで
昼間から酒をのむ
朝から酒をのむ

せずにすんだ

のかもしれない。


ポジティブ思考でいきます。


自分の人生のために。


大切なこと。。



もし、

この系の摂食障害

SEDでなかったら

酒の進行はもっと早く

エスカレートしていたはず、、、

と思うんです。

当然

今私はここにいないはずだ、、、

きっと
生きていない

と。。。




 逃げる

 いつもの私のやり方、逃げること。

 言葉でいうと
 きたないけれど、
  
 嫌な奴だけれども、




 あの時はそうするしかなかったんだ。



 きちんとした治療もできず
 子育てに追われてたんだから
 仕方なかった。。んだ。

 
 夫の言動に怯えて
 いつも現実に怯えて
 ここに至ってしまったけど、

 私は私なりに

 精一杯やってきたんだ!


 そして、
 今お酒もやめている!

 頑張ってるよ、私。

 
  
    今は素直に自分を認めてあげられる。

 




 
 
★繰り返しますが、
 ごめんなさい


 SEDの摂食障害でなかったら

 朝から酒ものみ

 とっくに家庭も、私個人も
 崩壊していたであろう。。。


 


 (根本的に、幼少期に根付いた私の性格が
 変わらない限り、遅かれ少なかれ
 結果はみえていた。)





 こんな人生だけど

 こんな人生じゃなかったら、

 夫にも、そして、

 大切な3人の子供達にも、

 巡り会えていない。

 今ここにいない。





 そう、、!

 人生


 悪い事ばかりじゃない!










摂食障害になり
アルコール依存になり


人生悪いことばかりではなかった
優しい人間にもなれた。
そう思う私が今ここにいます。

もっともっと今に感謝し
大切な家族を愛して。


済んでしまったことをくやんでいても仕方ない
過去を振り返らずとは言わない
たくさん振り返って、むしろ良いと思う。







自身の経験を
次に活かせるものなら
そして誰かの支えになるのなら


私の人生は
本当の意味でこれからだ!!