夏休み旅行中なので、
過去の投稿より
要介護2の母のシリーズでお送りしています。
歴史ツアーの今年の旅行。
2日目は温泉泊のんびり旅です。
モネの池
→途中で明智光秀の墓発見!
→白川郷
前回の記事はこちら
長男出産1か月前に倒れた母
【要介護2の母➁】母の死は目の前だった。
親子鑑定占い師
四柱推命講師&鑑定師
くろまき(講師名:橙萃)です。
実母が要介護2で同居しています。
その母の事を
シリーズでお伝えします。
要介護2の母。
介護をしている方にとって
要介護2は
軽度と感じるかもしれません。
しかし、
母は脳の病気で
体のお世話が少なくても
意思疎通が以前と変わり
辛く感じる場面が多いです。
介護はどんどん悪くなる
ところが、同じお世話でも
どんどん成長する子育て
と大きく違うところ。
私は、長男出産の時に
母が介護必要になったので
子育て開始と
介護開始が一緒でした。
当時は母は父と暮らしていたので
主でのお世話ではありませんでしたが。
母のように脳の病気だと
ダメージを受けた部分の
影響が大きいですが
本質は母の性質が
出ているように感じます。
と、言うことは⁉︎
四柱推命で
介護者の気持ちが
和らげると思っています。
本日はこちらです。
【要介護2の母➁】母の死は目の前だった。
①の続きです。
父から電話が来て…
父
「トイレの前で
(母が)倒れている」
「意識ない・・・どうしよう」
私
「救急車呼んで!!!!!!!!!!!」
人がパニックになった時に
救急車を呼ぶことも
考えられないのだと知りました。
母は、リビング横の部屋から
フラフラになりながら
TVにぶつかり玄関横のトイレへ。
TVの向きが変わっていたそう
用を足そうと
ズボンを下ろして
倒れたのか
母の周りには排泄物が。
意識がかろうじてあって
痙攣している状態だった
そうです。
助からないと思ったと
父は後に言っていました。
後日談
父が帰宅した時は家は真っ暗。
玄関横のトイレで
排泄物と共に倒れている母。
その光景が頭に焼き付いて、
暗い家に帰宅するのが怖いそう。
9年過ぎた今でも、玄関とトイレの電気は
付けっぱなしで外出しています。
父が救急車を呼び
近くの総合病院へ運ばれました。
私は父と病院で合流しました。
2,3時間後に会えた母は
意識はもうろう、右手が痙攣していました。
翌日
脳関連の専門科がある
大学病院へ移動する事になりました。
私は、脳梗塞や脳出血
を疑いましたが、先生からは
「くも膜下出血でしょう。
これから詳しく検査します。
明日にまた説明します。」
と言われたので帰宅しました。
しかし、2時間後
病院から電話がかかってきて
「今から来てください。」
と言われました。
その時すでに
母は自発呼吸を
していない状態でした。
母の病気は
くも膜下出血よりも
さらに奥までウイルスが感染する
脳炎でした。
脳の炎症が
呼吸器機能を低下させていました。
こんなに急激に
脳が侵されるのは
先生も見たことない
と言っていていました。
適切な病名も無い。
かろじて当てはまる
小児脳の病気名を言われましたが
すぐに亡くなる病名でした。
危篤です。
1週間睡眠薬で眠らせ
脳が安静化しているところに
薬投与。
レントゲンで真っ白になっている
ウイルス(細菌)が無くなり
各部分の機能が回復しないと
生きるのは無理でしょう。
との先生からのお話でした。
今、意識がなく
母の命は1週間かも。
いきなり
目の前に母の死が出てきました。
4日前は、私の検診に付き添い
ご飯を作ってくれた母です。
別に付いて来なくても良いのに・・・
いつものように
冷めた反応の私でした。
その母が
死ぬかもしれないなんて。
私はなんとしても
お腹の子=孫
を母に見せたいと思いました。
私は最後3週間で
亡くなった娘がいます。
当時、自宅にまだ遺骨があったので
娘に何度も
お願い!おばあちゃん(母)
を助けてね。
とお祈りしていました。
生きた心地がしない
1週間を過ごしました。
が、この間にも
病院に親戚が訪ねてきて
ゆっくりも出来ない1週間でした。
そして1週間後
奇跡的に
脳のウイルスは治まりました。
母は生きれる。
お腹の子を母に見せられる。
私の精神状態はギリギリでしたが、
とてもホッとしたのを覚えています。
悩みの根っこは
自分と親の問題が潜んでいます。
今、ママになったあなたにも
自分の親との関係を見直す。
とても大切な作業です。
ママが快適に生きる♡
を応援しています!