痛い言葉たち。

「私たちは自分の贈り物を、その価値を真に理解して、感謝できる人に与える。

今日私は、私の時間とエネルギーを、私と共に回復の旅をする人たちに使うことを選ぶ。

私は、私の話に耳を傾けてもらう価値があり、そのままの私で愛される価値がある。」

「ACA今日の黙想」5/21:
「理解されていると感じること」からの引用。
https://note.com/tiku_tiku_hari3/n/n869be409cb96
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少し前に、大切な人たちに対して、恐れと自己否定感から、不注意で敬意に欠ける、乱暴な発言をした。

信頼や厚意の全てを、ちゃぶ台返しするような発言。

何であんなことを言ったのだろう。悔やんでも悔やみきれない。

会ったこともない人たちだけれど、何年もの間、心の支えや励ましだった人たち。

そんな大切な人たちに、取り返しのつかないことをした。

だから、この文章を見た時、相手の方はこのように思ってるのだろうと感じて、辛くなった。

自分の行動の結果だから、私に責任のあることだと頭でわかっていても、本当に辛い。悲しい。痛い。

こうした、思ってもみない反応で、敬意も礼も欠いた言動をして、関係を壊すパターン。

このパターンは、もう嫌だ。やめたい、やめよう。

自分が変わろう。それがせめてもの埋め合わせ。

もうかかわることはできないであろう、相手の皆さんへの、誠意。

どこをどう変えたらいいのかも、わからなくて、ただ、今の私の在り方は違ってるということだけはわかる。

この数年、折々に関わっていただいてる人にこの出来事を伝えて、その方の視点で感じることを伝えてもらった。

「こじれた他者との関係でなく、まずは自分自身との関係を正すことが最優先」との言葉に、とても納得した。全くその通りだ。

少し長いけれど、その方が伝えて下さったことを転載する。

痛い真実だけれど、この通りだ。

信田さよこさんの、母娘の本や、悲しい結末になったある母娘のドキュメンタリーの本なども、読んでみよう。

自分の親子関係、祖父母との関係が実際にはどのようなものだったか知るのは、怖いし痛いけれど、

そこを見ないでいると、目の前の大切な人に同じことをしてしまうのだと分かった。

それは辛すぎる。

大切な人を大切にできるように、自分が自分を大切にできるように、事実を知ろう。
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あなたは、自分の行動に対して違和感を感じながら、どこをどうすればよいのか混乱しているようですが、

それは、あなたの根底に一番欠けている視点があるのが原因です。

それは「笑顔で信じて見守る」という視点です。

全ての行動に対して
過干渉に踏み込まれて口出しされて
受け入れないと暴言や脅しを吐かれる、という扱いを受けて育っていませんか?或いは、これに近いトラウマの様な事があるのか。

とにかく、今までの人生の中で
あなたの事を信じてアレコレと口出しせずに見守り支えてくれる、と言う人があまり居なかったのではないかなと思います。

だから、誰かに対して好意的に接しようとしても、何かどんどんおかしな方向にいってしまう。やり方を知らないからです。

心配は呪いと良く言いますが、
心配性の人って、自分と他人に対して信頼がない人が多いと思います。

だから、自分の心配の気持ちを受け取らないと怒り出す。

でもその怒りってつまり、
「私を分かってよ!私の言う事を聞いてよ!」って事ですよね?

それって凄いコントロールです。
だけど、本人はそういうつもりはないですし、心の底の「寂しさ」を埋めて欲しいだけなんです、本当は。

私と同じになってよ!っていう気持ち、不安を一人で持っていたくない気持ちなんです。
よく頼りない母親が、子どもの問題行動に寛容でないと、そういうコントロールをします。

もしもここに「笑顔で信頼して見守ろう」という適切な人との距離感と、信頼が持てれば、こんな事は起こりようもありませんよね?

幼い頃に受けたお母さんからの支配が大きく影響はしていると思いますが、
とは言え、あなたは、もう大人です。

まず、普段から自分自身にどんな声掛けをしているのか、意識してみて下さい。相当煩くあーしろこーしろと言っているはずだし、聞かないと怒りをぶつけていると思いますよ、お母さんみたいに。

いの一番に、自分自身を笑顔で信頼して見守ってあげて下さい。

拗れた他人との関係修復の前に、
ご自分との関係を正すことが最優先だと思います。