携帯電話が不調で、あわてて新しいものに買い替えをしてから、2ヶ月ほど過ぎた。

ライン、スカイプ、ブログ。すべてIDなどを控えていなかったため、更新できなかった。

いつも読ませて頂くブログを読みたくて、自分のブログも新しく作った。今日、初めて新しいブログに記事を書いてみる。

*****

3月半ばに、3年勤めた職場を辞めた。
本当に、あたたかな、やさしい職場で、時間通りに出勤できない私でも、一緒に対処を考えて下さりながら、通わせてもらっていた。

出勤時間を遅くしたり、幅を持たせたり、家を出るときにLineで「今、家を出ました」とメッセージするなど。。。

本当に、いろいろお気遣い頂いた。それでも、遅刻は変わらなかった。

辞める1ヶ月前に、次の職場が決まり「今から早く家を出る練習しとかんと」と、そんなことまで気にかけて下さった。それで、1回くらい早く出勤できたけれど、やはり遅刻は続いた。

新しい職場は、こらまでに比べて1時間半も早く家を出る必要があるけれど、3週間、遅刻しないで通ってる。

何だろう。

怠けてたのかな?
社会に出ること、外に出ることへの抵抗、家から出ることへの抵抗。そんなものがあるのをずっと感じてた。

そのままでは生きていけないことも、感じてた。でも、自分で変えられなかった。

遅刻を変えられないことで、これまでの職場の人たちに迷惑をかけていたし、悲しく残念な気持ち、あきらめの思いから、みんなが距離を置いて私に関わるようになっていたのも感じてた。

その、詰まった感じが、しんどかった。職場の人もそうだったと思う。私は、職場の人たちが大好きだから、これ以上迷惑かけたくないって思った。

あと、職場が少し遠くに移転することになり、自転車で通うのをしんどく感じたこともある。

そして、移転先が、雇用者さんの新築する家の地続きであること。そのことにハードルの高さを感じた。

自分と同年代の人の、家庭生活や、家族のやりとりを身近に感じることは、今の私にとって痛いことに感じる。

自分に欠けてることを意識させられるから。親密な関係、家族を作ること、社会や人生の基盤、社会的な役割や責任。冠婚葬祭などのお付き合い。

長年の引きこもり生活で、そうしたものから遠ざかって縁遠くなってる。

普段、見ないようにしてるけど、いつも気になってる。それらの分野で自分の経験や選択を重ねてこなかったこと。無視して放置してきたこと。

振り返って、これまでの私にはできないことだったのだと納得はしてる。けれど、それら一般的な人生や社会の基盤なくして生きていく道も、見えてないし、作れてる感じがしない。

行き当たりばったりで今を生きてる。

雇用者さんご夫婦の、旦那さんのことを、何となく意識してしまうようになったのも気がかりだった。このことも、大きいかもしれない。

家族とか、男性への好意とか、アレルギーの原因のようにして避けてきたことに、目を向けさせてもらった機会だったと思う。

その学びを受け取れず、私は逃げてしまったのだとも思う。

でも、避けてきたそれらのことに、とても養育的な関係& 環境の中で目を向け始めることができたのは、こわがりな私には有り難いことだったなと思う。

家族をもつことや男性に好意や関心をもつことに、それってどんなこと?と興味を持ってる自分がいるんだなと、認められるようになった。

それで、現実に何か行動したり、変化した訳ではないけど。

「興味関心はあっても、今の私にはできないんだな。少しさびしいし、残念だけど、ただ、そうなんだな」そう認めてあげるだけで、気持ちは楽になるみたい。

家族もパートナーシップも、自分が自分の世話をできて、責任を引き受けられて、できることなんだと思う。私はそこがなかなかできないでいる。

スキーの初心者が、上級者コースに行くのは危険なように、

自分を生きることが下手な人が、人と親密に関わる複雑な状況設定、環境に身を置くことは心身のリスクが高いのだろうと思う。

私の身の丈で積み重ねていける何かを、見つけたいな。一般的な人たちの人生の基盤の代わりになるような、心の基盤、魂の基盤を持ちたい。

最近、母や父との関わりがずいぶん変化して、とても支えられているのを感じる。私の人生の基盤は、ここにもあった。なかったと思ってた基盤が、確かにここにあった。

私の思い違いで、たくさんの否定と批難、破壊をまき散らしてきたことごめんなさい。

うまく説明できないけど、そんな思いがある。父や母だけでなく、祖父母たちに対しても。

空っぽな、私、壊すばっかりで積み重ねのない私が、どう生きてくのか。

今の職場もどれくらい通えるのか、通いたいのか、わからないでいる。ホコリはすごいし、窓全開で、屋外と同じ作業環境。被曝のリスク満載の職場。

土曜日出勤もたくさんあって、残業もあって、時間、エネルギーともにハードな職場。休み時間も、間違い直ししたりして、ゆっくり休めないような職場。

ても、これが今の私の現実。

先はわからないけど、今、与えられた状況設定で、体験する必要なことがあるのだと信じたい。

確かに、朝、時間通りに出勤して、作業もストップウォッチで測りながら、時間を記録しながら動いてる。

時間の感覚が弱い私が、こんなにも時計や時間を意識することは、生まれて初めてだ。

周りの流れについていくスピードを求められることも、初めてだ。

接点のない、たくさんの人と挨拶したり、一言二言話したりするのも初めてだ。

初めてで苦手なことばかりの、今の場所。

望んでいる場所かもわからないけど、新しいことばかりというのはわかる。私にはわからないけど何かの訓練なのかな。

間違いばかりでやり直して迷惑かけてる。

でも、誰とはわからないけど作業を手伝ってくれる人がいたり、「こうするとうまくいく」というのを、途中まで作業した状態で置いておき見せてくれる人がいたりして、(たまたま作業途中で時間かなくなり放置したのかもしれないけど)、

助けてもらってるのを感じる。とても厳しい作業環境なのに。

それと、昨日は、何だかわからないけど、声の大きな、大阪弁のヘンなおじさんもいた。

インドの女神様、と思うような不思議な雰囲気の人もいる。

わからないことたくさんだけど、やっぱりミシンの音とか、布や糸にふれてることは好きだなぁ。訳わからなくてもすごく集中する。できてもできなくても、すごく集中する。

他の仕事でこんなにも集中してエネルギー使うだろうか、というくらい集中する。

とりとめないけど、今日はこの辺で。

と言いつつ、母のことも、書いておきたい。

でもハード過ぎて疲れを取りきれないまま日を過ごしてるのが気になる。足もむくみやすい。なんとか対処しないとなぁ。

と言いつつ、母のことも、書いておきたい。

新しい職場になって毎日電話をかけてきてくれる。前の職場で遅刻しないで行けたことがないのをしってるから。

母からの言葉「気を楽にして、がんばってね〜」「今日のお仕事ぶりはどうでしたか?」「今日も無事に行けた?」「毎日、進歩してるのを感じて安心した」「1年後にはいろいろできるようになっていそう」「まじめにやっているのを見ていてくれる人か必ずいるわよ」

母の明るく楽観的な声で、そんな言葉を聞かせてもらうことが、とてもうれしく有り難い。私は母の何を見てきたのかな?こんなにもあたたかくゆたかな人の在り方を、ずっと受け取れないで、気づかないで生きてきたのはもったいなかったな。でも今気づけてよかった。私の母は、敬意や、喜びでいっぱい。それがあふれてる。うまく言えないけど、そんな感じがする。

体も、生活も、あちこち凸凹あるのに、なぜか心は光でいっぱい。母はそんな人。

気付けてよかった。

父も、職場の保証人を頼んだら、快く協力してくれた。家族以外の親戚の保証人に困ってることも伝えたら、母の姉にあたる伯母に、その日の夜のうちに連絡とってすぐに了解をもらってくれたり。

そんなに親身に動いてくれるなんて思わなかった。お父さんありがとう。いくつになっても親って、本当に有り難い存在なんだな。

それがわからないで、人生半ば過ぎまで生きてきてしまって、おバカな子どもでごめんなさい。

浦島花子な、不良娘(不良おばさん)ですが、今日一日できることしながら、生きてみます。気にかけてくれて、支えてくれて、助けてくれてありがとう。