昨日、たまたま大和田にいたので、是枝裕和監督「万引き家族」をコロナシネマで観ました。カンヌで最高賞(パルムドール賞)受賞が話題になっていたし、公開初日だったので。とは言え、地味な映画だし、おしゃれ感ナッシングなんですが…。

以下、ネタバレしたらいけないので、抽象的な言葉ばかりになります。すいません。

 

役者が(短時間の出演者達も含めて)本当に素晴らしいし、細野晴臣の音楽(というか音)も。

そして、公開前に議論されていたような「現代の貧困」がテーマではなかったです(だって、彼らは実は貧しいことに、特殊な理由があるので)。今の日本の様々な問題を映し、それを通して家族とか絆とか超えた人の繋がりのことが描かれます。ただ、それは全然「綺麗」じゃないですけど(笑)

 

冒頭、万引き帰りの父子が、虐待を受けている幼女を、まるで捨てられている子猫のように(本当に可愛らしい女の子)拾って持ち帰るところから、映画は始まります。

まぁ、一度観ても、登場人物の(真実の)関係がほんと分かりにくい!

ちょっとしたセリフ、映し出されたモノとかがキーワードなんだろうけど、全部わかった人はいないのでは???気が付いた人だけ気が付けばいい、という容赦ない映画です。。

 

そして、「万引き」しているものは、彼らの生活用品だけではなく、実はそれぞれの「家族」も万引きのような形で盗まれるように集められていたことが分かります。彼らが店に並んだ商品を「まだ誰のものではない」という感覚と同じく、「人」はもある意味、その家人の物ではないのですね。

 

そうやって出来上がった家族体も、構成する家族も虚構、幽霊みたいなものです。実体があるのは老女で”家族”全員が彼女の年金にたかっている 樹木希林のみ。その上、お互いが嘘をついていますし(笑) 樹木希林の老女が一番家族をコントロールしていたというのが、なんとも(そもそも年金不正受給を元ネタとしていますが、それでいいんです、と見終わった後では言いたくなります)

 

この作品は観る人に全部委ねているので、どんな感想、結論を感じてもその人の自由という意味で、すごく嫌らしいかも。個人的には、私としては近代社会、近代制度における家族や社会、個人の実態。善とか悪とか超えた人と人との繋がりや、微妙な距離間。そういうものの再構築を迫られている時代。(でも、それを制度化したら、また同じか)。それを感じ取れたら、及第点をもらえますよね?(違うとか言われそう…本当に人それぞれの感想を持つかと)

 

善人ではけっしてない登場人物。でも悪人じゃない。悪として、アンチテーゼとして描かれていたのは、制度を体現していた池脇千鶴ら演じる当局側の発想や考えだけ。

ラストは、本来の形、常識的な形に収まった、と解釈する人が多そうですが、子供二人のそれぞれの最後の目線の先は、制度を超えた関係だったと思います。

 

 

…これを観ながら観客全員が思い出したに違いないのは、つい最近の東京都目黒区での5歳の幼女の虐待死だと思います。

東京の児童相談所の動きが色々言われていますが、その前の居住地の香川県の児童相談所をはじめとした行政機関の努力を記事で読みました。そこに立ちふさがった制度の壁が「一時保護における家庭裁判所の許可がおりないこと」。親権という「親の権利」。

昨日観た映画はとても文学的な映画だったんだけど、制度の不確かさも実感した訳で。

映画のラストシーンの後、あの5歳の幼女はどうなったのかと。

 

 

『正しいこと』『あるべき姿』。そういうのをもう一度考え直さなければいけない時代になっているんですよね。それに私達の社会が耐えられるか、いや耐えなければ。

仕事上、制度の真っただ中にいる私だからこそ、そう思います。

 

私達の未来…。