「ピアノを売ることにしたの」

実家の母が、電話口で言いました。

 

家には、私が子どもの頃に弾いていたピアノが置っぱなしになっていました。が、いまは父と母の二人暮らし、ピアノを弾く人はいません。

 

母からピアノを売ると聞いたときは、内心、驚きました。

 

でも、東京の家には置き場がありませんし、母が決めたことです。私は反対しませんでした。

 

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ピアノは、中学3年まで、10年くらい習いました。


子どもの頃の私は、ピアノに向かうと、まずハノンという指の練習曲、つぎに教則本、最後に曲集を弾くという順番で練習していました。

 

ピアニストを目指していたわけでもないのに、家のピアノを遊びで弾いた記憶がほとんどありません。「ピアノは、順番に練習するもの」という思いが習慣になっていました。


隣の同い年の幼馴染は、同じ先生にピアノを習っていました。中学生のとき、彼女とほかにピアノを習っていた同級生ら4人で集まって、ピアノを弾いて遊んだことがありました。とても楽しかったのですが、そんなふうにピアノで遊んだのは、たぶん、そのときだけだったと思います。

 

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母には「娘にピアノを習わせたい」という夢があったと思います。でも、私のピアノは、あまり上達しませんでした。

 

それでも、一人暮らしをはじめると、ピアノのない生活は寂しく、すぐに88鍵盤のキーボードを買いました。いまも自宅に電子ピアノがあり、ときどき弾いています。ピアノは楽しめるものになっていました。

 

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実家の片づけは、思い出と折り合いをつけながらの作業になると思いました。

 

でも、そんな思いをよそに、ピアノは、電話一本で、あっけなく運び出されていったそうです。

 

 

 

春昼や窓より売られゆくピアノ     秋山裕美

 

(「炎環」2021年6月号)