まだお正月気分…というのは先日書いたが
その理由のひとつにお正月番組がある。

ガキ使や黄金伝説などバラエティ番組をはじめ
この時期にしか放送しない内容がわんさか!
録画しまくった番組を松の内に観るのだ!
見終わってないのがあと3本!
テレビ最高!


よゐこさんの無人島生活スゴかったな~
今年もめっちゃ笑った。
しかし毎回おどろくのはあの潜水能力。
フィン(足につけるヒレみたいなやつ)をつけずに
なぜあんなにサクサク海の中で進めるのだろうか!?
あんな深くまで潜れてしまえるのもスゴい。
しかもあのスーツで、あの動き。冬の海。
5月に沖縄で潜った時、
20分くらいやったけど
もう寒すぎて早めに切り上げたくらい。
ガタガタ震えがとまらんかった。
体張ってる…を通り越して
命懸けやなーと思わずにいられない。


年始となるとNHKの番組がたまらんく良いのよね。
歌(俳句とか連歌の方)はまだ興味がむいてないのだけど
お正月だけの雅楽と舞楽の番組放送は、さすがNHK!

奉納舞楽だったり、主に祝の舞楽。
お正月に雅楽をきくと
『ああ、お正月なんだなー。』と感じる。

聞き慣れた西洋音階にはない独特の音階と和音。
息だけでテンポと間合いを合わす合奏。
一期一会の演奏。

なんというか雅楽は
良い加減、良い塩梅、良い距離感
人間関係、会話のような音楽なのだ。

合理的で理論的な西洋の楽譜では表現できない
たとえば…対極なのは簿記!
(たとえが突然で下手やなw)

絶妙なバランス感覚の上に成り立っている雅楽は
これが日本らしさというか、
日本人の根底にある気質の集大成のような気がするのだ。

右方、左方ふくめ
伝来を取り込む懐具合も日本ならでは。
昨年は少し雅楽と舞楽の勉強をしたので
今年は録画してじっくりと観た。

やっぱり現代以前にできたものは
情報収集してからの方が断然面白い。
なるほどそういうことか、と
気づきが多くて、久しぶりに脳が喜んだ。


生で観てみたいなー。
雅楽も舞楽も。
年に一度、抽選で観られるらしい。
応募してみようかな、と思う。


BSもお正月らしい、というか
日本文化を取り上げたいい番組やってるんだなーこれが!
再放送なのだけど永久保存したいくらい。
(たまる一方なので、してないけど。)


運慶を取り上げた番組が今年一番やったな。
(まだ今年は13日目やけどw)
仏像とか宗教の対象である造形物は
美しく、心奪われるものが多い。

海外で教会の中にある造形物、装飾品を観る時も
芸術性を感じ
とても美しいと心奪われながら
これってどうなんやろ、
どう観て、どう感じたらよいのやら…と
とまどったり、悩むことがあった。
とくに、それぞれの神様を人間の身体で表現したもの。信仰の対象物。キリスト様やマリア様とか。
仏像もそう。

でも運慶の番組をみて、仏師はアーティストであり表現者なのだ。と感じた。
宗教の対象物ではあるが、
あらためて考えるまでもなく、
それはその時代やそのアーティストが唯一力を発揮できる場所であり
唯一世間から評価をうけることができるものだったというわけだ。

限られた制約の中で
自分の内にある芸術性を注ぎ込み
表現したものなのだから
観た人が、芸術性に感動したり
感じるのは当然なのだ。

遠慮せず
思う存分芸術性を感じてよいのだ!

とまどっていた気持ちはおそらく
『多くの人々が信仰の対象にしている聖なるもの』
に対して、
この感覚は冒涜的なのではないだろうか?
というおそれであったと思う。

---薬師如来像やキリスト像をみてエロティシズムを感じた時には…ほんとにとまどったが---

決して冒涜するつもりもなく、
有名、無名にかかわらず作者の一つの作品として鑑賞するという
鑑賞方法があってもよいのだ、と思えたのだった。