先日、稽古休みにNODA MAPの「足跡姫」を観にいった。
「勘三郎さんへのオマージュ」という情報のみで観劇。
 
人それぞれの感じ方や解釈は違って当然。
ここからは私が感じたことを書きます。
当たり前ながら私信として。
(ネタバレあり。観劇予定の方はご注意を。)
 
15分休憩を挟んで、前半と後半。
前半は全体の概要を知るための情報収集といった感じで観劇。
(私独自の野田さん作品の観かたです。)
誰に感情移入するでもなく、俯瞰で観る。
すると、色んなワードや感情が登場人物から発せられる。
印象に残ったものは否応なしに記憶される。
 
そして後半。
俯瞰で情報収集していたものが、集約されていく。
私には
宮沢りえさん演じる阿国が、勘三郎さんに
妻夫木さん演じる阿国の弟が、野田秀樹さんと重なり
宮沢さんをイタコにして、奈落の穴から勘三郎さんを舞台に引っ張り上げたように観えた。
もう、最後のシーンは涙腺が崩壊。
後ろには無数の足跡。(←観劇すると意味がわかる)
野田さんからの勘三郎さんへの溢れんばかりの想い。
もう、号泣。
 
兄弟=同志 という関係。
しかし、単なる兄弟や友情、ましてや反乱といった物語でもなく、
本物の刀をもった同士、同志の物語。
 
お二人がどんな想いで、どんだけ真剣に演劇に向かいあい
作品を作ってきたのか。
その過程を観せてもらっている、かのようだった。
 
とくに
この溢れてくる、抑えようのない(役者の)業とは、身体のどこにあるのか?
 
10代の時、演劇という表現の場があったからこそ、横道にそれず
精神の安定が保たれた(と思っている)私にとっては、
反骨精神というフレーズがすごく腑に落ちた。
反骨と志をもった若者達が、
自身の目標達成、またはトップに座った瞬間、
享楽に興じ、反骨と志を忘れてしまう。
偽物に成り果て、自身を自身が殺す結果に。
本物は違う。
目標達成、トップに座るとか関係なく
己の刀を磨き続ける。
胸に突き刺さった。
 
もしかしたら、
業の正体とは、なんだろうね。反骨なのかも知れないね。とか。
お二人でお酒でも飲みながら、語り合ったことがあったのだろうか、と想像したり。
 
舞台上の出来事は嘘。死すらも嘘。だからね、真剣をもって、真剣に芝居しろ。
 
そう、野田さんの戯曲を通して、宮沢りえさんの身体を通して
勘三郎さんが仰っている気がした。
舞台上は虚構であるが故に、役者の感情しか本物はないのだから。
 
なんだろう・・・言葉にできないほどの余韻がすごい。
言葉に表現できない、この余韻はなんなんだ。
 
ここからは私の思い出話になるのだけど。
 
私は芦屋雁之助さんの最後の相手役(孫娘)として舞台に立った経験がある。
舞台で二人のシーンの時、雁之助師匠が突然、脳梗塞で倒れられたのだ。
ストーンと座り、立てなくなった。半身不随の状態だ。
しかし、発症した脳梗塞が言語ではない方だったので、話ができた。
ほんの1分、2分のことだっただろうが、私にとっては1時間以上に感じた瞬間だった。
その瞬間、目で、セリフ(アドリブ)で、五感のすべてを使って雁之助師匠と舞台上で会話した。
オーラなんて見えないのに、雁之助師匠の後ろに黄金に輝く光を見た。
師匠から発せられる、空気のうねりを見た。
お客様は笑っている。
今、目の前に起こっていることは「芝居」だと思って笑っている。
時代劇だから、平服のスタッフを呼ぶことはできず
舞台袖にいた若い男衆役の役者を呼びこみ、
お爺ちゃんがぎっくり腰になったから鍼灸の先生のところまで運んで!とお願いし、退場した。
その日の公演は中止になった。
 
震えが止まらなかった。
お客様は笑ってらしたし、お互い、めっちゃ笑顔で笑って会話していたのは覚えているけど
何をしゃべっていたのか覚えていない。
雁之助師匠に何が起こったのかもわからず、ご本人が一番戸惑っていらしたに違いない。
 
ただ、確実に言えるのは
あの時、真剣を持って
切られたら終わり…ぐらいの緊張状態で芝居をしていたってことだ。
真剣で殺陣まわりをするようなこと。

雁之助師匠からは
凄いものがみえた。
あれが役者の業だ。

普通…芝居どころではないはずだ。
身体が動かない不安に襲われ、
普通は芝居どころではないはずだ。
生死に関わる状態なのに、なのに
喜劇役者で居続ける、という業。

俺を観ろ!と言わんばかりのオーラ
いや、観ろ! じゃないな…
私が居る。という有り様。

一瞬、ドーン!!と
黄金のオーラと、空気圧が広がった。

私は師匠に引っ張ってもらって見せてもらった。
言葉にできない境地。芦屋雁之助の役者としての凄みと業を。

だから舞台袖に入って真剣を置いた瞬間、
震えが止まらなくなった。
 
たぶん、言葉にならない余韻はこの時の経験、思い出だと思う。
 

師匠はなんと翌月の大阪公演で復帰された。
これも普通はあり得ないことだと思う。
『板の上で死ねたら本望や。』
舞台袖でボソッとつぶやかれた。
ニヤッと冗談ぽく。
冗談でかえしながらも、身体が震えた。

生死をかけて板に立つ。

冗談やないねん。マジやねん。
ずーっとそういう心持ちで芝居されてきたってこと。
だから、こうして復帰され
また舞台に向かわれるのだ。普通に。

生死をかけて板に立つって、
どんだけ業が深いことか…
果たして私はそこまでの業をもち続けられるのだろうか。
果てしなく遠い、深い渦がみえて
正直なところ、気圧された。
冗談でも私は
『板の上で死ねたら…』なんて軽々しく言えない。深さを目の前で見たから。


復帰されてからは、
こうして時々、
「真剣を持って芝居をしてきた」心持ちや
ヒントを少し師匠の言葉に変換して教えてくださった。
それが、偶然にもこの「足跡姫」の中にあった。

 
私にはまだまだ辿りつけない
とんでもない境地、世界にいる先輩方には
きっと共通するものがあるのだろうな、と感じた。