大阪市立城陽中学校  吹奏楽部
私の母校です。

関西吹奏楽界では、
大阪市内で唯一、30年以上続く強豪校と評されているらしいです。
(同級生のお子達が吹奏楽部だったりするので噂で聞いた。)

私が全国大会に出ていたのは約30年前。
そ、そんなになるのか。こわっ!と感じる年月。


1987年   
課題曲・風紋 (per,タンバリン)
自由曲・仮面幻想  (per,コンガ)
1988年  
 課題曲・交響的舞曲(per,タンバリン)
 自由曲・ガイーヌ  (per,スネアドラム)
                ※リムショットバージョン


当時は部員数が多かったから、
私が1年生の時はコンクール出られなかったです。

3年生の時の、組曲ガイーヌ
レスギンカでのスネアドラムは、
すげーマニアックな人が今でも覚えてくれていて。東京で、吹奏楽部だった同年代の人に会ったら
『ええ~!  全国大会で見ましたよー!  あの女の子なんですか!  握手してください!』
と、言われたりもする。
『女の子』というワードにニヤリとしてしまうあたり、私もオバちゃんになったんだなぁと感じる。

レスギンカのリムショットバージョンは、
パーカッションがめちゃめちゃカッコよくて!
パーカッション全体が、
ほいでソロの私がミスをしたら、
間違いなく関西代表にはなれないし、
全国には行けない楽曲。
ハイリスク、ハイリターンなアレンジ。

今考えると、よくもまあ中学生にやらせたよなぁと思うし、
(当時、中央大学がやっていた。)
よくプレッシャーなく、やってのけたなぁと自画自賛する、ような曲。
木管もすげかったし、金管もよく鳴らしたよなーと思う。

プレッシャーより、無我夢中だったから
できたんだろうな。
マイナス思考がうまれる隙もなかった。

あと私の中では先輩の演奏の方がすごいと思ってた。
80年代前半の先輩方の演奏。
神出先生時代。
神出先生は定年退職後、信愛女学院の顧問をされていた。
(連盟理事長でもある淀工の丸谷先生を、丸谷君と呼ぶ、伝説の顧問。)

技術が、音色が…中学生レベルじゃなかった。
なんといっても、個々のレベルがエグいほど高かった。
卒業生のなかにはもちろん、プロになってる人もたくさんいるし
アマチュアバンドでトップの人もたくさんいるけど
すでに中学生の時から、そのレベルいってたんちゃいますん?と思うくらい、エグかった。

定期演奏会での、OBバンドの演奏なんて
現役時代に舞台袖で聴いてて、神でした。(T_T)


そして、めちゃめちゃ怖かった~

初見で(初めて楽譜をみて演奏すること)、演奏ができないと先輩にボコられるのは当たり前。
というか、そんなことも出来ないの?  
シンジラレナイって空気圧。

朝練(大阪城公園)に行かないとボコられる。
というか、え?朝練いかなくて出来てしまうくらい余裕なの?すごいわね、あなた~。っていう空気圧。

準備や段取りが悪いと色んなモノが飛んでくる。足蹴りはマスト。
というか、そんな段取りの悪さで全国大会行けると思ってるの?  あんたらの時代、無理ちゃう?  という空気圧。

ボコられる、は冗談としても
伝統校ならでは?の空気圧を勝手に感じて、自分で追い込んでました。

それぐらい、先輩のレベルが高くて。
ストイックに成らざる得ない環境だった。

おまけに、
TBSで先日放送されてた
『仰げば尊し』
のように、学校全体を仕切ってるバリキャリな第一線のヤンキーな先輩達が金管パートにいらっしゃって😆

可愛がってもらったけど、
文化系やのにバリバリ体育会系で
年間で正月3日しか休みがなくて
先輩が笑けるほどコワカッタ(笑)

今はそんな先輩達と大人になって
コワカッタ思い出エピソードをつまみに呑む!
のが楽しい。
理不尽な先輩からの圧力の数々は
大爆笑のネタになっている😆

母校の定期演奏会
大阪市立城陽中学校吹奏楽部
『ピュアコンサート』
10月30日(日)
東成区民センター
(昔は森の宮、青少年会館が定番でしたね。)

時間はわかりませんが(笑)
すいません。

お時間あれば是非、ご来場くださいまし。