香川県から母の故郷にいきました。

母の故郷には、母より10歳年上の姉と
3歳年下の弟がいます。

叔母は山奥で一人暮らしをしています。
叔父も一人暮らしをしています。叔父はまだ仕事をしています。

私が幼い頃は、年に2回は帰省していました。
夏は川遊びにBBQアマゴや鮎をとってくれて食べたりお祭りや花火 ながしそうめん
冬は、雪遊びに凧揚げに五右衛門風呂にはいったりと
従兄弟たちとの楽しい思い出がいっぱいあります。

親戚は、大勢で何泊もとまらせてもらっていました。
でも帰る時はいつも
「また来てな!いつでも来てな!こんな山奥の田舎にきてくれてありがとう!」といつもいってました。

母の希望で、直前までその2人には
会いにいくことはいってませんでした。

叔母と叔父の家🏠近くになってから
母が、電話しました。
「あっ〇〇ちゃん?今〇〇やねん。ちょっとよらしてもらうわ。」というと
叔父も叔母も電話口から聞こえるほどの大きな声で「え?!」といってました。

突然に🏠にいったのに2人は、相変わらず
「これ食べいーアレ食べいー」といってくれ
お団子やら梨やらなんやら出してくれました。

滞在時間20分ほどでした。

帰る時母は叔母の手をとり「私より長生きしてや!」といってました。
叔母は、母の手やら肩を叩きながら
「〇〇ちゃんもなっ!」といいながら
お互い目をおさえてました。

叔父の🏠を出る際母は、「〇〇ちゃん私の葬式には仕事休すまんでええからなっ。もう。こんでええからなっ忙しいから」といってました。
「〇〇ちゃん仕事気ぃつけーや!せこかったら休めや。」と叔父に何度もいってました。
また 叔父の家🏠では、母がトイレに立ち上がり酸素ボンベのみを持ち運ぼうとしていたから
(カートのコマが汚れているから🏠に持ち込まなかった。ふきとったが、母がボンベだけど持ち込むといったので)
私がボンベと同調器をもってました。

母の息切れといいこの様子みた叔父は、
小さな声でため息混じりに「あっー」といってました。

とりたての野菜やら野菜やらをどっさりもらい 帰宅しました。