あれは
5月9日。
朝
タクシーに乗った。
息子の亮輔と
名古屋駅に向かい
岐阜行きの電車を待った。
超方向音痴で
乗物音痴の私は
亮輔と一緒だと
怖い電車も安心で
母と妹が住む
穂積へと向かった。
ゴールデンウィークに
予定がいっぱいだった私たち親子は
この日曜日を使い
母と妹に逢いに行ったのだった。
駅では
母と妹が待っていてくれて
毎度
妹が予約してくれいる
しゃぶしゃぶ食べ放題のお店で
お昼を食べた〜‼️
が❗️
名古屋の飲食店は
5月11日まで
時短営業だが
酒類は提供してよかったが
岐阜は
この日から‼️
お酒は提供出来なくなりました
と
店員さんに言われ
えー‼️‼️
聞いとらんわ❗️
(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
と
ガッカリ。。。
マジかよ。。。
そんなんだったら
家で食べて飲んだらよかったやん❗️
と
何の為に電車で来たんや‼️
と
腹立たしさマックスになりかけたが
仕方ない。
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
岐阜は岐阜の決まりがあるから
仕方がない。
と
食いに走る事にした。
♪───O(≧∇≦)O────♪
キュ〜っと
ビールが飲みたいのを
我慢したわ。
そして
妹が
お姉ちゃん好きそうやよ❗️
と
サンタの倉庫とやらに
連れてってくれた。
そしたらば
レトロな昭和が
いっぱい‼️笑
買う買わないは
別として
面白過ぎて
時間が経つのを
忘れてしまいそうになったりした。笑
そんな
久しぶりの家族との時間だった。
しかも
ずっと脳梗塞で倒れて
入院している妹の旦那さまに
退院の兆しが見えてきていると
そんなうれしい報告も受けた❗️
と
同時に
自宅介護も始まる事になるんだと
妹の覚悟や
母の不安も
見え隠れし
この先の
母と妹の生活スタイルが
ガラッと変わる事になるんだろうと
私も身構える日にもなったのだった。
とにかく
とにかく
こんなコロナ禍だから
心配も絶えないが
上を向いて歩くしかない‼️
前進前進‼️
1ミリづつでも
前に進もう。
長崎で入院している娘にも
ずっと
面会出来ない日々が続いていて
それも
もどかしくてたまらないが
ますます
そう感じた私だった。