●所の落書き | I'm Zero

I'm Zero

2010年7月、19歳で急性骨髄性白血病と診断されました。再発と自家移植を経て、現在は映像制作の仕事の傍ら患者会の活動や講演活動などを行っています。

2020年7月発病から10年を機にブログを復活させました。


AYA世代のサバイバーで知らない人はいない、
きっしーさんの記事。

しょせん「●所の落書き」なんだけど…。
見なきゃ良いのにヤフコメを見てしまい怒りやら悲しいやらで眠れなくなった。
(記事自体はとても素敵です。ぜひ読んでください)

応援するコメントに混じって散見される
「遺伝したらかわいそう」
「親のエゴ」
「望み過ぎでは?」
「親が健康なら賛成だけど」

不妊治療や障害についての記事にもよく見られるコメントだけど、優生思想みたいなのが透けて見える。

(そもそもがんが遺伝すると思ってる人多すぎる)

私が病気になった10年前、
「10年前(つまり20年前)だったら厳しかった」
と言われてた。
技術の発達があったから、ここまで生きて来れた。
本来なら生きられなかった人が、長く生きられるようになっている。それはがん患者じゃなくてもそう。

でも、社会が技術に追いついていない。

一部の人は私たちのような
「本来だったら生きられなかった人」に対して厳しい。
「淘汰されてた存在」とまで言う人もいる。

普通の健康な人が子どもを作る事に対しては何も思わないのに、
がん患者やハンデのある方とか、欲しくても出来なくて頑張っている人がその“普通”を追い求めようとすると「親のエゴ」「望み過ぎ」と批判する。

コメントの言葉の端々に「生きてるだけでありがたいと思え」「命が助かったならそれで満足しろ、それ以上は望むな」という圧力を感じます

確かに私は医療の進歩によって「生かされた」のかもしれないけれど、その後の人生に何を望むかは自由なはず。
(もちろん感謝の心は忘れちゃいけないけれど)

こんな世間に腹が立つし、悔しい。

あと、異様な高齢者世代叩きも違和感。
確かに、もっと若い世代に回して欲しいと思う事もある。
だけどこんなに高齢者がお荷物扱いされちゃったら
この国で歳を重ねるのが怖くて仕方がない。
今叩いてる人も、いつかは歳をとるのに。

死ねば美談、生きてりゃお荷物?
こんな世の中で生きるの、そりゃ辛いはずだ。