こんにちは、マッキーです。


いつもブログを見ていただき
ありがとうございます。


今日は野球の話。


朝起きて新聞を見ると
32歳の若さで脳腫瘍で亡くなった
広島カープの“炎のストッパー”と言われた
津田恒美さんが野球殿堂入りした記事をみました。


私は小学校から大の広島カープのファンで
当時は赤ヘル旋風で強い広島でした。


津田さんはお隣、山口県の南陽工業高校出身で
とても速いストレートを投げる注目の選手で
甲子園にも出場しました。


そしてその甲子園で
弱気が出て、自慢のストレートでなく
カーブを投げ、ホームランを打たれました。
そのホームランでチームは敗退し甲子園を去りました。


『弱気は最大の敵』


この言葉をボールに書いて常に持っていたそうです。


そして津田さんが広島カープにドラフト1位で入団し
すごくうれしかったのを覚えています。


私は広島カープの試合を生で観たいという理由だけで
広島の大学に行きました。
親に言ったらぶったたかれますが・・・


私が当時住んでいたアパートの近くのデパートで
津田さんのサイン会があり、握手をしていただきました。


女性ファンがほとんどで男が少なかったので
少し恥ずかしかったのを覚えています。


野球で印象的なのは
当時三冠王で阪神タイガースのバース選手との勝負。


私は今までプロ野球を見ていて
どこに投げても打たれる感じがしたのは
バース選手と怪我をする前のジャイアンツの吉村選手だけです。


そのバース選手に津田さんは、ツーアウト満塁で
3球ともストレートで三振をとります。


3球目は153キロ。


バース選手は試合後
「津田はクレージーだ!」と言ったのは有名な話です。


その後、津田さんは病気で広島を退団。
亡くなったの知ったのは、スポーツ新聞の一面でした。


当時の私は人生うまくいってなく
「生きていても仕方ない」と思っていました。


津田さんの死はとてもショックで
「自分と代わってやりたい
津田さんが生きていたほうがずっといい」と。


奥様の書かれた著書を読んで
闘病生活、野球復帰への思い、監督チームメートの優しさなど
「津田さんの分まで生きなければ、弱気は最大の敵ですよね」


津田さんありがとうございます。


野球殿堂入りおめでとうございます。
北別府さんと一緒でよかったですね。