自分の通った幼稚園の前を今日、久しぶり通りがかった。
少し鮮やかに塗り替えられたピンクの建物。
幼稚園の頃の記憶からすれば全てがミニサイズにみえる
遊具やひろば。
小学校にあがりたての頃は、すっごくお姉さん気分で
高校生になったら、満足な近況を報告出来るか不安だったり、幼稚園の頃の自分を知り尽くしている先生に合うのが少し気恥ずかしい気持ちもして
大学になってからは、先生が私のことを一目見て分かって下さる事自体にうれしい驚きを隠せずいた
・・そんな年を経て抱いていた気持ちが一変に蘇る。
そして、そのピンク色の建物の中に
手放しで 尊敬出来る人 がいる。
永遠にお手本であり続ける人。
その人とは
私がお世話になっていた幼稚園の「ふくえんちょうせんせい」。
旦那様が「園長先生」だから 幼稚園の毎日の舵取りをしていた彼女は
「副園長先生」。
ちいさな土鈴が
まろやかな音をたててコロコロ鳴っているようなイメージのひと。
成長してから気づいたのは、意外と小柄な方であるということ。
でも、あまりの包容力の大きさに、とても大きな人に見えていたし、今もそれは変わらない。
あの、建物の中で、今日もお元気にされているかな・・・?
ちょっとふくよかでお茶目な、そして満面に「はつらつとした慶び」をたたえた副園長先生がそのままに表れている、あの声。
今でも、頭の中で再生すると、瞬間的に、頭の中の奥深くの部分が、やわらかにリラックスする感じがする。
私が幼稚園の古い記憶も、小学校の頃「卒園生」として運動会や文化祭を訪問したときに出会っても、「成人式の集い」で挨拶したときも
いつまでも変わらないことに、何とも言えない、安心感を持ったっけ。
「天職」ということばを聞いたときに、まず思い出される人でもある。
与えることが、ただ、うれしい、という見返りを求めない姿勢
園児たちが安全で
元気に大きくなってくれる過程を見つめる喜び
・・・それだけをみつめて続けている幼稚園。
生まれて初めての「社会」に接する園児たちを
毎朝ひとり一人迎え入れるときの心からの笑顔が
何よりの証拠だったと思う。
園児が便利に、安全に放課後の習い事クラスに行けるように、という事だけのためにようちえんの敷地を広げたい、と何十年もかけて貯金をなさっていたとも聞いた。
何千人もの卒園生がいるなかで 園児の家族構成はもとより、おとうさん、おかあさんや、その子のおばあちゃんのプロフィールに至るまで、瞬時に読み出せる記憶装置に記憶。家庭環境の情報キャッチ・吸収能力も人並みはずれていて
その記憶も、長期保存。 数十年のブランクがあっても、「そういえばあのときのお家の様子は、その後どうなった?」なんて先週顔を合わせたばかりのように、具体的な内容の話に関心を持って下さる。
ウチの母親などは、何かの機会に、お電話で話をしたとき、こちらから名乗る前に、電話口の声だけで「あら、○○ちゃんのお母さん?」と当てられた!と驚いていたっけ。
ふくえんちょうせんせい がお習字のお師範さんだったということもあり
私が通っていた頃から
まだ小学校にあがる前の園児に対してお習字のクラスがあったり
放課後に希望者に対して, 当時はまだそれほどまでに広まっていなかったリトミックのクラスや、ピアノや書道のクラスを開講していたりと なかなか広い幅の世界を見せてくれていた。
今から思えば、充実した環境を 自然な流れて提供してくれる
子供思いの幼稚園だったと思う。
まだ、漢字も読めない園児達にも、ひとり一人が卒園するたびに
直筆の 筆書きで
「愛」 と 「感謝」 の文字をプレゼントしていたっけ。
子供の頃は、この言葉の持つ 深さや重さって、わかりにくい。
そんな色紙を堂々と部屋に飾っておくなんて、
気恥ずかしいくて、できないよー、なんて思ったことも。
でも、人間にとって、永遠に、皆平等に、大切なもの。
たっぷりした印象の達筆で、色紙にしっかりとしたためられた
その筆文字が ふと脳裏に蘇った。
そのピンクの建物の中にいる
しあわせのオーラを振りまいているひと。
思えば、文字通り ”生まれて初めて”
の社会生活の「始めの一歩」に
素敵な人に出逢えていたものです。
その証拠に
四半世紀以上経った今になっても、
あたたかい気持ちをプレセントしてくれる
おおきな 存在。とはまさにこの人のこと。
いつまでも、いつまでも エールを送りたいし、
何らかの形で少しでも感謝のお返しが出来るといいなぁ。