痛いとか、不便っていうだけじゃない。
おそらく、それは、とてつもなく大きな恐怖との戦い。
見えない相手との戦い。
少し前に、TVのチャンネルを変えている最中にふと手を止めて
見入ってしまった番組が二つあった。
ひとつは、どの医師にも「治療不可能」と告げられた状態の
難患者さんに「神の手」と言われる技術で立ち向かう
心臓外科医さんの活動を紹介した番組。
もう一つは幼い子供の闘病生活と心臓移植のための
大決断の末の渡米への家族のチャレンジのドキュメンタリー。
過去、病院にお見舞いに行ったときに通りすがった小児病棟の
目をキラキラさせた子供達のスマイルや
かつて仕事(通訳)で出向いたことのある入院病床の空気、
医療現場に突然接することになる
戸惑いを含んだご家族の表情を思い出した。
消毒の臭い。明るいトーンのゴム張りの床。
足早に通り過ぎる看護婦さんの足音。
あの、独特の病院の空気に、
一瞬包み込まれた気持ちがした。
「感涙」には強いハズ、という私でも、
今日の番組は思わずテッシュに手が伸びた。
きっと、どんな映画よりも胸を打つ、現場。
今日の番組では小さい坊やが主人公。
ふと気づけば、親御さんの年齢も、
それほど自分とそんなにかけ離れた年齢ではない。
本人は「ちっとも悪くないのに」悲しかったり、痛い思いに
耐えなくちゃいけない不条理な試練。
「生きること」への熱意や感謝やその他諸々の複雑な気持ち。
私は、ありがたいことに、大病も怪我もなく、いままで生きてきたけれど
もし仮に、そんな事が自分に起こったら、どんな対応ができるかどうか。
ふと考えてみた。 自信ない。
「何となく」で生きてしまっている毎日が見えてくる。
実は先日も、中高時代のクラブの同窓会で
数ヶ月前に大手術を終えたばかりだという後輩にお会いしました。
久しぶりだったし、あまりに前向きな雰囲気が溢れていたので
最初はそんな状態にあったことなど全然気がつかなかった。
でも、実は、って明るいトーンでお話ししてくれたこと、
具合の悪かった状態にあったことを公表してくれる勇気。
「元気になって本当に良かったね」と思うと共に、
その前向きな力を分けて頂いた気がしました。
(もしかしたら伝わらないかも知れないけれど、)
この場を借りて、ありがとう。
振り返れば、これまでも、身の回りに、何人か
病気を患っていたことやコンディションを崩したことを
教えてくれた友達がいました。
それは精神的であったり肉体的であったり、
原因不明な理由によるものであったり。
今はすっかり完治した人も。
・・そうでない最も残念な結果に終わってしまった人も。
症状の思い軽いに関わらず、
そんなことが人生に起こる事あるんだよって 教えてくれる事は、
心を開いてもらえる「友達」、
そして「仲間」である証
なのだろうと思う。
そして、それは同時に今の時間を意識させてもらえる、
「大きなプレゼント」でもある。
その人への尊敬の気持ちに気づき、自分を振り返らせてもらうための
大切な機会。
その都度、「今、生きていることの奇蹟」を垣間見せてもらうのです。
そんなささやきに気づいたり受け止めることのできる柔らかい場所を、
いつも心の中に持っておけるよう、大切にしておきたい。
* * * * * *
いつも、いつも胸にグサッとくる言葉があります。
『あなたが空しく生きた今日は
昨日死んでいった者達が
あれほど生きたいと願った明日』
「時間」(いまの瞬間という意味で)は
みんなに平等。 だからこそユニーク。
私は、どんな時間の使い方が出来るだろう。
・・・ちょっと振り返ってみたひとときでした!