仕事終わり、旧友と久しぶりに会いました。

旧友って書くと今は友達じゃないみたいだから友達の方がいいのか。


仕事で忙殺される日常では絶対に満たされない、心の奥の渇いた場所が満たされるような素敵な時間でした。

今は21時過ぎ、普段仕事をしていたらいつの間にか残業で過ぎ去っている時間。

ただその時間でとこんなに充実感が違うのかと思う反面、そんな過ごし方もできる時間を自分はいかに無駄にしているのだろうという虚しさ。


でも毎日がこんな日じゃないからこそ、多分こんなに大事に思えるのだと思う。

子供と離れて会った時の喜びを語っていた彼女の気持ちがすこしわかったような気がしました。


感謝ですね。そんな相手がいる自分、環境に感謝ですね。

全く同じ人間と東京で出会っていても、友達にはなれなくてこんな気持ちをいだけることもなかったのかもしれない。

食器用洗剤が無くなったので買い出しへ。


なんか変わった種類のものがあるなと思い、違うものを買ってみる。


家に帰って古いものを捨てようとしたらまさかの全く同じもの。

毎日使ってても、注意して見なければ気づかなかったパッケージ。


過去の自分も同じような考えでその商品を選んでいたのだとしたら、なんだか過去の自分も今の自分に繋がってると思えてちょっと安心するような。



当たり前すぎて注目していなくて、見落としている大事なことが日常に無いだろうか?

どんな仕事も自分ごとで考え、クライアントからの無茶な要望にも可能な限り答える働き方を続けてきた。


そのおかげで得られた信頼や関係値があるのは間違いないが、どうやらそれを続けていくのも中々厳しいみたい。


意外と資料の出来は自分で70%でも喜ばれることがあるし、なんでもかんでも自分で、100%で、と思うのはやめよう。


人に任せ、時には適当に。

何かの力を抜くのは、その分何かにエネルギーを使えるということでもあるから。



古い友人に会いに夜の新宿へ。

終点で着いたその街はやはり異世界。


日本で怖いと思う場所はここだけじゃないかというくらい特殊な街。

普段は見えない寂しさが、孤独だけど群れになっているようで、なんだかその空気を吸っているだけで哀しい気持ちになる。

これが哀しい気持ちかどうかもわからないけど。


ホームレスの横を通りすぎ、多分この時間に出歩いているのは何かに満たされていない人なのだろう。


体感40以上の男性が大学生のような格好をしてナンパをしている。何が彼をそこまで突き動かして、彼はどうすれば満足いくのだろう。


側から見たら理解できない人間、自分も側から見たらそんなふうに思われているのかもしれない。


恵まれた日本でさえ全ての人間が幸せになるのは無理なのであろう。

絶賛盛り上がっているW杯。

選ばれる実力はあったのに直前の怪我で出られない選手。次は4年後、全盛期やタイミングもある。


それが夢で、もう一生叶わないこともある。

その気持ちを想像するだけで胸が痛む。

もちろん怪我以外は健康で、世界で活躍していることは側から見たらとてつもない幸福かもしれない。

今日生きているだけで、生きられなかった誰かがいるのだから。


でも結局幸福感は主観で比較で、世界がどれだけ悲惨でも自分の期待からかけ離れていればそれは不幸でしかないのである。


自分がその立場だったらどう感じているのだろうか。


でも何事も主観なら、その捉え方も変えられる。絶望から学べることもあるのである。

それが希望かもしれない。