優しい人ほど他人に気を遣って疲れてしまう。

周りの迷惑なんて考えず自分の都合だけで無責任に辞めてしまう人もいれば、辞めたいのに辞めた後の会社や人を心配してくれる人といる。


チームメンバーの1人が辞めようとしているけど、明らかに後者で見ていて苦しい。

どうか優しい人が損しない世界を。


会社での立場を考えると、引き留めるのが仕事だし、それが彼女の幸せに繋がるなら是非そうしたいけど、そんな自信は無いことがちょっと悔しい。


結局最後決めるのは自分自身だけど、人生はトレードオフで全てを優先することはてきず、何かを優先することは何かを捨てることでもあるのです。

なんだか今日は疲れを感じました。

出来るだけ体力を使わず、気持ちを吐き出すために言葉に。


なんだか全てがどうでも良くなって、行く気がしなかった予定も重い腰を上げたら楽しく、でも明日を考えると憂鬱さと疲労感に襲われる。


なんだか全てが面倒で、全部終わってしまえば良いと思う。

なんでそんなことを思ってしまうのだろう。

まあどうでもいいか。

明日は嫌でも訪れる。

今日はとある有名な場所で夕日を見ていました。

寄り道していたら到着が遅くなり、全然間に合っているけど、もう少しで沈みそう。


普段は何も思わない太陽が夕日になるととても儚くて素晴らしく感じる。なんでもう少し沈む前から見ていなかったのだろうと思う。


素晴らしいものはいつも失われるその瞬間に気付く。自分にとっての夕陽なんだろう?

この瞬間だったりするのだろうか。


1年後にはこの夕陽も、今の考えも忘れているのかなと思うと、自分って何だろうと思う。


夕陽はそれが始まりでも、同じように愛されるのだろうか。

何を大切にし、何を優先するか


価値観の定義は難しいけど、今日気付いたのは価値観とは自分の中の優先順位であるということ。


遊ぶより寝たいのか、早く結婚したいのか、何にお金を使うのか


常に全ての判断に優先順位があり、個々人違うことが時にすれ違いを生んだりもする

自分にとって大事なことが大切な人にとってどうでも良い場合、それは結構悲しい


自分が大切にしたいことは本当はなんだろうとはと思う

最近思うのは自分はその瞬間を味わうのが好きだということと、形式的なことや宗教、迷信などにこだわりが無いということ。


素敵な景色の前ではできるだけスマホを触らずこの目で見て感じたいし、おみくじやカレンダーの大安などはどうでもよかったりもする。


自分の優先順位を守れない時の天秤は、相手の優先順位に従うか、自分の優先順位を突き通すか。

相手が優先順位の1番であれば迷う必要はないのだろうけど。

でも別に相手の価値観を優先しないことが相手を低く見積もっているというわけではないことが難しいところである。

自分が今後親になるかもと将来を考えた時に感じる親の偉大さ。

息子2人を何不自由なく育ててくれたことへの感謝と、もっと報われてもばちは当たらないと思う今日この頃。


会社からもらった旅行券で家族で旅行へ行くことが決まりました。

今までもらった恩を返せるうちに少しづつでも返せればと思います。


教育に正解、不正解、成功、失敗は無いとしても、こんなことを自然と考えられる人間に育ててくれたことは教育の賜物かもしれない。


今自分に子供はいないけど、会社での自分のチームのメンバーは子供みたいなもの。

感謝されたいわけではないけど、辞めた時にあの人と働けて良かったと少しでも思ってもらえるために、今日から何ができるだろうか。