今日の自分は幸運か、不運かと聞かれたらなんと答えるか?


電車に鍵を忘れたことを考えると不幸とも言えるが、事故にもあわず無事に目的地に着けたことを考えると幸運ともいえる。

人生は近くから見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だと言う言葉があるが、今の自分は遠くから見れば幸福で、近くから見たらちょっと不幸なのかもしれない。


何事も捉え方なのである。


行かないと決めた2次会に行ってしまい、さらには3次会まで。

帰れなかった自分を恨む気持ちもあるけど、もし同じことで後悔している友達がいて前向きな言葉をかけられるのだとしたら、その言葉を自分にかけてあげることもできるはず。

仕事もプライベートも結構つめつめだった後半。

年末年始は実家に帰省するも、あまり予定を入れず例年よりゆったりと過ごしました。

本屋で買った本も2冊読み切りました。


学生の頃は結構本を読んだり、映画を借りてきてみたり、1人で何かと向き合う時間が比較的多かった気がします。そんな生活に久しぶりに浸かってみて、最近は社会に染まりすぎたのかなと感じました。ふと自分の発言を振り返って嫌なやつだなと思ったり、あんなこと言わなければ…と振り返ってみたり。

社会では社交的な方が生きやすいので、いつの間にか誰かに望まれる生き方をしていたのかも。


これは良い意味でも悪い意味でもなく、自分はもっと静かで、口下手な人間だったなとふと思いまして、なんだかそんな自分が心地よく感じました。



また予定を入れないことで睡眠をしっかりとって休憩できたことで、色々なことにチャレンジしたい気持ちが湧いてきました。最近は目の前のタスクを捌くことで精一杯だった自分としては成長なのかもしれません。

またこのブログも最早存在を忘れていた時期もあったのに、ふと書きたくなりました。


余裕を作るって大事だなと体感しました。

今日は会社の新年会。お酒は好きだけど、早めに撤退して睡眠を楽しもうと思います。

明日の自分が誇れる選択を。

ある日ふと気づいたこと。

自分の人生はもう既に余剰の人生かもしれない。

思い返すと多くのことに恵まれて、不自由なく暮らし、友達や恋人と楽しい時間を過ごし、優しい家族に恵まれている。

それなりに仕事して評価され、美味しものを食べ、色々な場所に旅行して。


最早自分の人生は1人の人間が一生で得て良い幸福をもう充分に得てしまっているのかもしれない。


10代で戦争で亡くなっていたり、今も戦争に巻き込まれていたり、最近も身近な場所でも悲しいニュースがたくさん報道されている。


そう思うと、最早自分のこれからの人生はもう余剰で、これから得る幸福は必要以上のラッキーで、これから訪れる不幸は今の幸福を考えると当然あって然るべきことなのかもしれない。


そう思うと不幸や辛いこともしょうがないと受け止められるし、幸運は予想だにしないプレゼントに思えてくる。


そしてもう自分が充分に満たされているなら、他の人を満たしてあげる余裕も生まれる。

これから得られる余剰は誰かと分け合って使えたらいいな。


最近色々なことに対してお腹いっぱいな気分。

お腹いっぱい食べると気持ち悪いし、楽しい時間も程々で良いと思ったり。


何かに対して飽きずに求められることは最早才能だと思うけど、永遠に満たされないことはある種地獄であると思う。


もちろん今はお腹いっぱいでも明日の朝にはお腹すいているのかなと思うと根本は変わらないのかなと思ったり。

どうせいつかは乾く感情を満たすことにどれだけの意味があるのだろうか。

社会人になると、年々友達が減っていく実感がある人は多いのではないかと思う。

いつの間にか連絡しなくなって、会わなくなって自然と距離が生まれていく。


人は無意識のうちに優先順位をつけて暮らしているもの。明日誰と過ごすか、何を食べるか、何かと何かを比較して、その時の優先順位に従って行動を選択する。


友達と過ごす人もいれば、家族と過ごす人もいて、1人で過ごす人もいる。



学生時代は優先順位の上位を友達が占めていても、時と共にライバルがあらわれて、優先順位は塗り替えられていく。そしていつの間にか他のものが優先され、友達と過ごす時間は減っていく。


小学生の時、どれだけ仲が良い友達でもクラスが変わってしまうとまるで今までの仲が嘘のように、新しいクラスの友達と仲良くなって遊ばなくなることがある。小学生は大人に比べて使える時間も自由も少ないので優先できるものが少ないと仮定すると、前のクラスの友達は自分の優先順位のキャパを超えてしまっているのかもしれない。



自分も今後仕事だったり、家族であったりに影響され優先順位は変わっていくものだと思う。

中学、高校、大学の友達とは卒業後それなりに距離ができることは当たり前なのに、社会人になって関係が思うように続くかないのはある意味当たり前かもしれない。

でもあくまで優先順位の変動であって、例か自分のキャパシティの圏外でも大切にしていること、さらていることは忘れたくない。