今日、1年前に投稿した記事があることに気がついた。

 

アメブロを始めたころは、とにかく毎日投稿をしてみようと思っていた。

 

でも、あるとき、ぱったりと記事を書くことができなくなった。

noteも当時のTwitterも、投稿できなくなった。

 

 

それは、今のように、自然体で表現するのではなくて、自分の内側に出てくる不安を消すために、何かをしなければ・・・という気持ちが強かったのだと思う。

 

 

自己開示がキライなわたしが、noteやアメブロ、スタンドエフエムを使って、自己表現を始めたのは、「伝えたい思い」と「残しておきたい自分のあしあと」があったから。

 

だけど、「どうやって伝えたらいいのだろう??」という思いや、他者からの批判、非難がこわくて、「うまくやらなければ!」というプレッシャーがあったのだと思う。

 

 

フォロワーさんを増やさなければ・・・など、自分に負荷をかけていた。

 

 

 

1年前のブログには、前日の23日に貴船神社に行ったことが書いてあった。

 

 

読み返すまで、貴船神社に行ったのが11月23日だったことも、すっかり忘れていた。

 

 

 

普段、自分の書いたものを見直すことなどないけれど、このタイミングで読み返したのも、何かのメッセージだと思った。

 

 

まるで、「あの頃よりも、ずっと成長しているでしょ?」と、言われている気がした。

 

 

「わたしなんて、まだまだっ!」って思ってしまい、小さな成功をよろこぶよりも、大きな成功に目を向けてしまい、自分を追い立てるクセがあるのだと思う。

 

 

そんなわたしへ、過去の自分が、「これからは、頑張るのではなく、力を抜いてやっていっていいんだよ」という、自分への許しをうながされた気がした。

 

 

自分を受け入れることが、これほどに難しいというのは、どうしてでしょう?

 

 

これからの世界が、受け入れ合い、認め合うことがあたり前になることを、心から願います。

 

 

よろこびやしあわせは、苦しみがなくても得られるのだから。