ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ
「書きたいことを一点に集中させなさい」
出てしまったアイデアの寄せ集めは
必要かもしれません
これは
「繋げる」ことに、
徹底して取り組んでいくことが今、求められてるように思います
物が溢れすぎている世の中の選択が凄く、難しい傾向でもあり
何をするにも自由ですね
生まれてきた瞬間から自由を手にしている
この、
「自由」という、
人にとってに開放感のあるものには、青春でロマンですよね
自由を手にして最終的な道は、
「自然」へ
帰ることになるかもしれません
常日頃から、当たり前のような世界で
外に出歩けば飲食店や、キラキラするお店が沢山並んでいたりすると
ついついお店の中に入って楽しい時間を過ごしていますよ
溢れるばかりことを徹底して選択していくことには、
上質なものを
「管理」をする
という前提で、溢れるものを
「選択」し、
「五感」
を使って見ています
音楽のない世界なんて考えられません
私の見てきた風景には、いつも当たり前にあるように
映画や芸術、音楽がそこにありましたから
映画と芸術は目の癒し
音楽は耳の癒し
そうしたことから、自分なりに考えることは
「選択」
と同じこと
五感というのは、生まれながらにして持っているもので
「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」があり、
過ごしてきた時の中で、あなたが一番使っている五感は
どれに当てはまりますか?
あなた自身が知っている、感覚的才能に自信を持っているものを
人は簡単に知ることができません
今まで培ってきたものは、全部あなたの中に存在していて
どの五感が優れているのかはあなたの風景にあります
どのように過ごして、誰とお話して楽しかったのか
どんなことに心踊らされてきたのか、知っているのはあなたのみ
幸せへの道というは、
「繋げる」
「自由」
「自然」
「管理」
「選択」
「五感」
これが全て揃った時、現れる道ではないでしょうか?
いつも読んでくれてありがとう。
ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ
「私にとって書くことは、息をすると同じくらい簡単なことです」
失敗は成功への近道と言います
逆説を言うと、成功は失敗しなければ届かない
人の価値観は千差万別程に、道順も千差万別
失敗ってしたくないものですよね
私も何度も道順を間違えたり、
しなくていい
「選択」
というものに随分、悩まされてきましたから
頭の中にある自分自身の
最終目的地への幸せのゴールへ行くには
「想像」
することです
想像できることは実現できる可能性があり
私にいつも、もたらしてくれるものは愛デアでした
このアイデアは今まで自分が経験してきた中で、
起きた出来事や、自らの力で学んだことが素材になって
「アイデア」
は生まれます
そのためには、
とにかく動く、行動する
頭で失敗ということを意識しないようにするのは簡単
ではないようですが
大事なことは、
イメージコントロールをして、
好きなことをずっと考え続けていたら
結果的に良い方向へ向かう
と言うことでもあります
運動する人たちの多くは、
この
「イメトレ」
ということを常日頃から行っているので、
成功や勝利へ導きやすい
頭で考えすぎてしまうことにより、
行動が一歩踏み出せず、後ろ向きな姿勢に変わってしまうもの
「経験」
という
素材一つ一つのパーツを組み立てるように、
合わせて想像することを楽しんでいくうちに
「幸せへのゴール」
への近道に向かっていますよ
大事なことは、
「選択」
「想像」
「アイデア」
「イメージトレーニング」
「経験」
これを習得できれば、
「幸せのゴール」へ
また一歩前進しています。
いつも読んでくれてありがとう。
ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ
物語の想像は簡単にできますが、
イメージを文章化するのは
凄く頭の使うことだと今気付きました
めちゃくちゃ疲れるし、ずっと
ナッツを食べてました
普段なら食欲を抑えることも
できたはずなのですが、
食べたくて仕方がありません
それはエネルギーを消費するように
何かを欲しがっているかも
しれません
自分のエネルギーは
何に使おうと必ず消費するものであって
特に意味もなく
というか、自分のしたいこと
したくないことに関わらず
必ず消費するもの
本当にエネルギーを消費するなら
自分が本当にやりたいことに
フォーカスしてエネルギーを注ぎたいです
今までのように履歴書書いて
送って審査されてっていうのは
もう古いやり方、なのかもしれません
私だけが思っていることかも
しれませんし、それが当たり前だと
思っていることも承知の上
それをまたやるのか?という憂鬱もあり
なんか嫌だなと感じることも
しばしばあり
何も働きたくない!って言ってる
わけではないのですが、人との交わりも
それから始まるでしょうし
そこから出会えるご縁も
あるでしょうし、
嫌だと思うことはもう古いやり方
なんだと私も痛感しています
会社に務めることが利益のため
人の社会貢献のためと
わかってた時が懐かしい
何だかこれが自分には
ハマっていないことに
思えてしまって
ひょっとすると後戻りせず
自分のやり方で成功させなさい
っていうお告げ
気付けたのは本当に
ラッキーなことで
時系列に並んでいる日記が
私の手によって
物語を連想させる
この日記が一つの
物語であり、キーワードに
なっている
この日記には私の思いの詰まった
記事録になっていて、
思い出と記憶のカケラそのもの
この記憶っていうのは
愛情が注がれていたものが
多くあって
家族とか友愛とか
一緒に歩んでくれる
賴き存在になればいいな
血の繋がりがなければ
助けられない
家族以上の愛は何も
ないんだと
ある人が言ってたんだけど
本当にそうなんでしょうか?
血の繋がりがなければ
赤の他人であり、助けるべき
存在と認定されないのでしょうか?
そう思わないでんですよね
たとえ血の繋がりが
なかったとしても
支え合えることは必ずある
作品を通して感じることが
強くあって、むしろ家族に
こだわる必要がない、
少し誤解はあるかもしれませんが、
一緒にいた年数が親以上に
長いって絶対にあると思うので
血縁関係じゃなければ
切り捨ててもいい
っていう判断にはならない
古い考えと新しい考えが
有る限り対立は増え続けるのかも
しれませんね
一神教と多神教、
どちらも受け入れてる
日本はやっぱりすごいなと
思わされます
いつも読んでくれてありがとう。