まろにーのぶらり旅 in 宮城県
〜旅の思い出 Part3〜
6月19日(火) 3日目
宮城県石巻市の被災地見学
語り部の悠人君と直接会えることになり、2日目夜からの山形行きを急遽変更し、ここ石巻市の大川小学校へ。
ここ、大川小学校は東日本大震災の津波により、74名の児童が死亡あるいは行方不明となり、10名の教員が亡くなった場所、そして、悠人君の弟さんが亡くなった場所です。
震度6強という体験したこともない強い揺れが3分も続いた後、大津波警報が発令され、防災無線やラジオ、たくさんの避難呼びかけがあったにもかかわらず、何故、このような悲劇がおこってしまったのか。
知り合いの和田さんを通じて、語り部活動をしている悠人(ユウト)君からお話を聞くことができました。
悠人君は、東日本大震災で家族、親戚、母校、大切なものを多くなくしました。
大川小学校は自分の母校でもあり、弟さんが通っていた学び舎でもあります。海から3.8km離れたこの場所に、8.6mという津波が襲ったのです。
伝えなければいけない真実。
悠人君が話した、『何故、自分は生かされたのか』そう、あのとき。震災直後、全国、全世界からボランティアが集まり、役所や避難所には全世界からの物資が届きました。自衛隊の車、全国各地のナンバートラック、空には救援ヘリコプターが飛び交い…そんな毎日の中で、私も震災直後同じことを思っていたことを思い出しました。
『何故、自分は生かされたのか』
宮城県にいる私でさえ、あの時に思ったこと、忘れていました。
語り部として伝えた後、その人が愛する人、大切な人や家族に、起こり得る震災が起きたとき、どう守るか、大切な人とイメージして、話す時間を作ってくれているのか。たった5分で良い。
避難する場所を事前に確認していれば、ほんの少し心に余裕が持て、そのちょっとの余裕で、人を助けることができるかもしれない。
そのために出来ること。
伝えることへの責任。
悠人君が最後に言葉にした
『ただ、生きてさえいてくれれば良い』
ズンっと心に響きました。
東日本大震災から7年。
まろにーが被災地を見て感じたこと。まろにーの言葉で、映像で、写真で、7年たったいまの被災地をSNSに残してくれました。是非、たくさんの方に見ていただけたら嬉しいです。
実は今回の旅。
偶然がたくさん重なった旅でもありました。
2日目の鹽竈神社では、私も知人に偶然会い、奈保子IRも偶然に知人に会いました。鹽竈神社のパワースポットはその時に教えてもらいました。
この日、まろにーの地元大阪で震度6弱の地震がありました。この日、この時間に被災地に導かれるようにしてきたまろにー。偶然なのか…運命…その言葉が頭からはなれず、来るべきして導かれたのかな…そんなことを思わずにはいられませんでした。
この日は被災地見学を終えてお見送り。
山形を経由して秋田県へとバトンタッチ。
本当に濃くて濃くて濃すぎた3日間。
マロニーは、水面に落ちた1粒の水滴のよう。
各都道府県に、小さな水滴となって落ちる。
その1粒はとてもとても小さなものかもしれない。でも、その水滴は、波紋となって人々の心を動かしていく。
人間味溢れる豊かな感性、虹色のような鮮やかな色、真っ直ぐに見つめる純真な心。知り合った人たちはそんなマロニーに魅了され、無邪気に笑う笑顔に自然と惹かれていくのかな…そんな事を思った濃いーーー3日間でした。
6/23の北海道を終え青森まで戻ったら、青森からの帰りはナントナント、大阪まで車で1.200㎞!!そんなの聞いたら心配で仕方ないじゃない~
どうか、日本各地の神さま、マロニーが大阪まで無事に着くよう、見守っていてください。
各クラブでご一緒した皆さま、お世話になった各クラブの皆さま、小松奈保子IR、ゆっちゃん、和田さん、悠斗くん、いく先々でお会いし、お世話になった沢山の皆さま。
本当に本当にありがとうございました。
そして、沢山の足跡を残してくれたマロニー。
沢山の
かけがえのない思い出をありがとう
また来てねー
今度は、道に迷わないからねー

マロニーのSNS
最後となりましたが、大阪の地震で被災された方たちが、1日も早く普通の生活に戻れますように…心よりお祈りいたします。
ボランティアをされている方、向かわれた方、ご苦労さまです。どうか無理せず安全第一で。
そして、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




