私が再度天童入りしたのは、少女が亡くなって49日が過ぎた頃でした。ニュースを見た翌日に新幹線で現場を通った時、間違いなく酷いいじめを受けたという勘が働いた。それから独自調査しながら細かく分析して大体の構図が見えてきたところで地元の善意の方にアポを取り出向いた。
この頃にはもう勘ではなく確信になり、今日明日中に天童へ行かないと生徒の聞き込みや噂話そして加害生徒の名前すら出しにくい状態となるギリギリの時期でした。
この確信のきっかけは予想もしない場所で聞かされた会話です。
定期的に開いている同年代知人の輪の集まりで、地方から上京する学生の家賃相場の話から親からの仕送り、部屋探しへと話が膨らみ、知人の連れて来た方(住宅賃貸業)が内覧キャンセル時の会話を聞いて先生の感覚ってどうなんだ?の話に飛んだ。
「学校で大変な事が起きて、生徒が自殺して参りました。いじめでね、いじめられる側にも問題あるんですがね参りましたよ」
今時の学校の先生ってこんなもんなの?断るのはいいけど生徒のいじめ自殺って大事件だろ⁉️」「なんか自殺した生徒が悪いみたいな言い方で驚いた」「何処の県の先生だったの?」「山形」「山形のどこ?」「天童」こうして偶然繋がった。
天童一中教師へのアンケート調査では、いじめの認識度0の発表をされていたはずでした。100人以上の生徒が見聞の結果を出しているのに教師は堂々と驚愕の0を出した。隠蔽工作と睨んでいた私の考えも、この知人の集まりで確信出来た。話題に出た先生が天童一中で学年違いの中堅上的存在だと確認も取れ、私の中の《いじめは絶対あった》《全部隠蔽される前に調査》《今なら間に合う》《亡くなった少女を二度苦しめてはならない》この想いが行動になった。