葬儀から一週間後、少しずつ会社に動きが出てきた。

 

数日前、税理士と話し合って「会社を畳む」事は決まっていた。

しかし、仕掛かっている現場がある。

それを一つ一つ終わらせていく必要があった。

 

夫が亡くなったのは、コロナが流行した翌年のこと。

建設業でもコロナの影響があり、木材が高騰したり

外国から入ってこなかったりした。

 

だから、幸い新築や工事費が大きな現場は

入っていなかったのだが、数的には6現場と

普段よりも少し多い数となっていた。

 

 

夫の会社は、主に「新築住宅」や「リフォーム」を

請け負う建設会社。

 

彼の主な仕事内容は施工管理

彼は施工管理技士という資格を有していた。

 

 

施工管理とは

 

建設工事の現場技術者を指揮監督し、工事全体を管理すること。工事スケジュールの延期や予算オーバー、事故などが発生しないように全体をまとめて進捗させる業務をになう仕事。その他、書類作成、役所への書類手続き、設計者や

業者との打ち合わせなども行う。

 

 

私は、夫の会社の役員になっていたのだが

建設の仕事は経験皆無。

主に、簡単な事務作業や銀行関係、

展示会の買い出しなどの雑用を任されていた。

 

義理の両親も役員となっていたが

他に社員はおらず、株式会社ではあったが

家族経営の小規模な会社だった。

 

会社の取り決めについては、あまり詳しくないのだが、

会社は社長の死後「速やかに次の社長を選任する」と

なっているようで、我が家の場合は自分が引き受ける

しかなかった。

 

しかし、プロフィールでも触れているように

 

自分は 

「誰よりも自己肯定感が低く、そそっかしくて天然、

 せっかちで面倒くさがり屋で心配性」

 と何拍子も揃っている『自称ダメ人間』だ。 

 

それに加えて優柔不断で決断力もなし。対人恐怖症で

人とのコミュニケーションも苦手ときていた。

 

はっきりいって夫とは正反対。

 

だから、会社の社長をするような器では全くない

 

しかし、人間って「やるしかない」と思えば

火事場の馬鹿力という言葉もあるように

普段、苦手としているようなことも

なんとなくでも出来てしまうものなのだ。

(という事を三年間で学んだ)

 

そして、一生懸命頑張れば力を貸してくれる

方達も必ず傍にいてくれて

 

直接的にも間接的にも沢山の方に支えてもらって、

なんとか無事に会社を畳むことが出来た。

 

それは、主人の人柄もあってのことだったと思うが

私は、この時ほど人様への感謝を感じた事は

なかった。

 

すべての現場や様々な手続きが終わって

完全に閉業したのは2022年の5月末。

夫が亡くなってから約1年の月日が流れていた。

 

この間、現場だけでなく事務所の片づけも少しずつ

取り組んでいった。

 

工事名が記してある看板、展示会で使った旗や食器類

現場で余った資材とかタイルの見本帳など

 

「道具は使う人間がいなくなれば、何も意味を持たない」

という事を知った。

 

そんな事は、本当は後回しでもよかったのかもしれないが

何かをしていないと悲しみに飲まれそうだった。

 

そして、もう一つの理由として、

夫がやり残したことを一つ一つやっていく事が

「彼への供養だ」という気持ちもあったから。

 

それは会社の事ばかりではなく

私物の整理、義理の両親の事、子供たちの事

すべて含めて。

 

実は夫とは、ここ数年あまりうまくいっていなかった。

暴言を吐かれたり、話を全く聞いていないなと感じる

事が多かった。ぶっちゃけ離婚の話も度々出ていた。

 

だから、すべてを義理の両親に話して

責任を放棄することも出来たかもしれない。

 

しかし、それをやっていたら私は

「自分の事が大嫌い」になっていただろう。

 

そういうことで「最後までやりきる」と心に決めて、

いよいよ、閉業までのカウントダウンが始まった。

 

 

会社を畳む Part2へ続く → → →