会社の事で、一番最初に連絡をしてきたのは税理士だった。

確か、葬儀から3日後くらいのことだ。

 

「会社の今後の話しましょう」という事だった。


事務所は救急車が来た時のままだったから、前日に早くから片付けを始めた。

 

ここから苦手な方はスルーして欲しいのだが、夫が気を失った時、彼はデスクチェアに座っていた。そのチェアの下には大きな尿だまりができていた。血液も少し。

 

気を失った時、筋肉が弛緩して尿漏れを起こしたのだろうか?救急隊が来た時には、全く気づいていなかったから、最初「これは何?」と思ったが、色がついていたので直ぐにわかった。

 

私は、それを無言で片付けながら、反対側の床にふと目をやるとシャツのボタンが

二つ落ちていた。心臓マッサージを受ける時に取れたのだろう。

 

そのボタンをテーブルの上に置き、さらに片付けを黙々と続けた。

 

泣いてる暇なんかなかった。

会社の事も含めて、夫のやり残したことを一つ一つやっていくことが

『彼への供養』だと思っていたから。

 

テーブルの上には、コピーされた資料が数枚きれいに並べられていた。

直前まで、お客様に渡す資料を作っていたようだ。

 

 

夫は、大学を卒業後、二つの会社に勤めた。

どちらも、地元では比較的大きくて有名な会社だ。

 

最初の会社では現場監督として修業を積んだ。

その後の会社では、施工管理と営業を少し。

パソコンの扱い方を覚えたのもこの頃だった。

 

そして、34歳で独立。最初は個人事業主でのスタート。

その後、少しずつ業績を積み、5年後に法人化。

 

亡くなったのは、会社が13期目に入ったばかりの時だった。

 

実は、夫が独立した年は長女が生まれた年だ。

そして、法人化したのは次女が生まれた年。

だから、彼の会社の歴史は子供達の成長と共に

あったと言えるだろう。

 

 

翌日やってきた税理士は、先に焼香を済ませ

お悔やみの言葉を述べた後、

「奥さん、会社は続けませんよね?」と聞いてきた。

 

私は、一瞬戸惑ったが、とりあえず「そうですね...」と答えた。

しかし、心の中では「本当にそれでいいのだろうか?」

「夫はどう思っているのだろうか?」などと考えて、

正直迷っていた。

 

夫が亡くなったのは、コロナ渦だった。コロナの影響は建築業にも

及んでいて、前年度から仕事の量が少し減っていた。

 

その為、夫は少し元気がなかったのだが

亡くなる直前には、独立初期に家を建てたお客様から

リフォームや壁の塗り替えの依頼が何件かきていた。

 

独立初期のお客様だから家を建てて10年~15年くらいの方々だ。

家はそのくらいになると、設備が故障したり壁の塗り替えを

する必要が出てくる。

 

だから、夫は「これから、きっとまた忙しくなる」「頑張っていこう」

と張り切っていたのだ。

 

しかし、彼は以前「俺の会社は、俺一代で終わりだから」と

話していたこともあった。

 

「どうしたらいいのだろう」

 

なかなか決断が出来なくて、打合せの度に考えが二転三転する私に

税理士が言葉を濁しながらこう言った。

 

「現場の方々は、旦那様だったから仕事をして下っていたのです」

「奥さんが会社をやったとしても...私も知りませんよ」と

 

一見冷たく感じる言葉のようだが、それは私を思いやっての言葉だったと思う。

お陰で私は会社を畳む決心がつき、新しい人生に目を向けることが

できた。

 

人生は選択の連続だ

 

もしかしたら、もっと良い決断があったのかもしれない。

でも、私は「これで良かった」と今では思っている。