いよいよ葬式の日を迎えた。この日は前日の雨が嘘みたいに晴天だった。
私たちはこの日まで二日間、葬儀場へ泊っていた。通夜の日は
、沢山の方とお話しした興奮と控室の空調の音で一睡もできなかった。
葬式を経験するのは、今まで50年生きてきた中で2回目だ。
1回目は母方の祖母のお葬式。私が中学二年生の時で、まだ子供だった。
今回は喪主という立場での葬式だが、何もかもが初めてで
分からないことだらけだった。
かなり疲れも出ていたが、シャワーを浴びて気持ちを切り替えた。
この日のスケジュールは
11時 葬儀の最終打ち合わせ
12時 葬儀
13時 出棺
13時15分 火葬場到着
15時15分 収骨
15時20分 火葬場出発
15時30分 還骨法要・初七日法要
16時10分 終了
となっていた。
葬式は通夜ほど参列者は多くなかったが、子供の学校の先生方や身内、大学の親友、姑さんの友達とごく近しい方たちの参列が多かった。
大学の親友には、夫の旅立ちを見届けてもらいたくて収骨までいてもらうようにお願いした。
有難かったのが、通夜と葬式と両方来てくださった方がいらしたこと。それは、夫の仕事関係の方々で出棺を手伝ってくださったのだ。
式の流れは、事前の打ち合わせで大体把握できていたが、実際始まってみて驚いた。司会進行役がいて、映画のようなスライドが流れたり、夫の生い立ちの紹介があったり、バイオリン演奏があったり「まるで結婚式みたいだ」と思った。
会場には沢山の花が飾られていて、最後はその花を参列者全員で棺の中に入れていく儀式があった。昨夜、子供たちと一緒に準備した手紙と折鶴も夫の顔の傍に置いた。
花に包まれた夫は、少し照れくさそうに見えた。
建設の仕事はどちらかと言えば男仕事だ。大学卒業後は現場監督として、暑い日も寒い日も現場を駆け回り、独立してからは一人で社長業から営業、現場の管理、打ち合わせ、事務仕事と頑張ってきた。
いつも、軽トラに乗って汗を一杯かきながら駆け回っていた姿が目に焼き付いている。だから、花などとは無縁の人生だった。しかし、そうやって亡くなる日まで、
私たち家族の生活を支えてくれた。
そして、今も夫が残してくれた家で私たちは何不自由なく暮らしているのだから、
夫には感謝しかない。
出棺を終え、霊柩車に乗り込んだ時「私、頑張るから」「大丈夫だからね」と
棺に向かって話しかけた。ほんの数分の二人の最後の時間。
車の周りには人がたくさんいるのに霊柩車の中は静寂に包まれていた。
そうして無事に火葬まで終え、夫は空へ旅立っていった。
「初めてパパを抱っこした!」
帰りの車の中で、遺骨を膝に抱えていた次女が言った。
夫は体が大きい人だった。
“そんなパパが抱っこできるほどに小さくなった”
3月まで小学生だった次女の無邪気な一言。
今、思えば周りを気遣っての精一杯の言葉だった
のかもしれない。