夫が亡くなってから、もうすぐ丸3年になる。その為、記憶がかなり曖昧だ。

 

たしか、通夜の当日だったと思うのだが❝湯灌❞と言われる儀式があった。

湯灌とは「ゆかん」と読むが、納棺の前に故人をお風呂に入れて清める儀式。

そういう儀式があることは知っていたが、そういう仕事をする人は初めてみた。

 

映画❝おくりびと❞で俳優のもっくんが演じた納棺師と同じ職業だろうか?

湯灌は「故人の現世での疲れや汚れを洗い清める」という意味で行うらしい。

 

不思議だったのが、湯灌をしてもらった後の夫の顔が生前の風呂上がりの時のようにスッキリと気持ちよさそうに見えたこと。

「きれいにしてもらって良かったね」

短い時間だったが、ゆっくりとした時間が流れていた。

 

その後、着物を着せられ納棺されたわけだが、納棺された後はもう体に触れることはできなかった。そうなってくると、途端に寂しさがこみ上げてきて「もっと触っておけばよかった」と後悔した。

 

自分は幼い時から、皆が悲しいという場面で泣くことが出来ない人間だ。だから周りから見たら冷たい人間に見えるかもしれない。でも、けっして悲しくないわけではない。ただ感情を表に表現できないのだ。泣きたい時に泣けないというのは、かなりのストレスだ。持って生まれたものなのか後からついたものなのかはわからないが、夫の葬儀の間も全く涙が出なかった。

 

通夜には沢山の方が参列してくださった。夫の仕事関係の方々やお客様、小学校から大学までの友人達、飲み屋のママさん、近所の方々、子供の学校の先生方、両家の親戚、実家の両親。

 

大学の親友は、奥さんと共に遅くに到着。遅いほうが、夫とゆっくり話ができると思ったそうだ。だから結構長い時間、会場の前に置かれた棺のところから離れずに夫に何か話しかけていた。

 

彼は田舎の方の出身で、すこし不器用な感じがするが人情に厚く、夫曰く❝どこか女性的な感性❞をもっている人物だ。夫とは正反対だが、どこかで深く信頼しあっているから親友なのだろう。

 

(後日談だが、この後、私は彼の力を借りて夫の会社の後片付けをすることになる。

彼がいなかったら自分はどうなっていたかわからない。本当に心から感謝している。)

 

夫は、生前、仕事関係の方やお客様、友人達の話を良くしてくれていた。通夜ではそうした方々と沢山お会いして、少しの時間だったが話をすることが出来た。

 

「今までの恩返しだ」と仕掛かっている現場を「皆でなんとか納めるから」と言ってくださった大工さん、「本当にいい人だった」と涙を流すお客様、「あいつに勝てる奴はいなかった」という大学の友人達。 

 

私の知らなかった夫の姿 沢山の出会いに恵まれて幸せだった人生 きっと会場のどこかで見ていただろう。感謝の気持ちをもって。

「皆さん、本当にありがとうございました。」