ある教授が教えてくれた話。記憶が曖昧だが、昨晩ふと思い出した。

教授は、中国より亡命していたある有名な作家と話す機会があった。

教授は思った。
文化大革命に遭遇し、多くの惨状に遭遇した彼からは、中国共産党への批判と、真の民主国家への熱い想いを聴けるのではないかと。そして、未だに故郷に帰ることができずに、共産党の報復を恐れて、身を隠す作家は、感傷的な言葉を吐露するのではないかと。

作家は話し出した。
中国の山奥にある、小さな村の話をした。
その村には、伝統的な大きな鍋を使った料理があった。
毎年恒例のお祭りの際には、村人みんなが集まって、獣を狩り、野菜を切り、火をたいてその料理を作った。鍋をグラグラ煮立てて、村人皆で鍋を囲み、その料理を食べていた。
それは、とても美味しい料理で、村人はその料理に誇りをもっていた。


教授が聴けた話は、その鍋の逸話だけであったそうだ。
作家は、一通り鍋の作り方を話すと口を閉じて、それ以上の話をしなかった。


学生時代、池袋のある中華料理屋によく行った。
麻婆豆腐がとても美味しく、カウンター越しの調理場には、50過ぎた初老の中国人が3人ほど、いつも忙しく鍋をふっていた。

ある深夜にいってみると、客は私を含め3、4組しかいなかったと思う。静かな店内であった。
いつもプロ野球を放映しているばかりのテレビ。私は野球には疎く、あまり興味がない。
その日はたまたま、ドキュメンタリーを流していた。
天安門事件の映像が流れていた。戦車が若者に向かっていこうとしている有名なシーン。

調理場の老人が、店内を様子みるかのように首をいそがしくふりながら、呟いた。
「またこんな嘘の映像を流しやがって」

静かな店内で、他の中国人を含め誰も反応しようとしなかった。
不思議な静寂に包まれながら、ご飯をかきこんでいたと思う。
そこの麻婆豆腐は、本当に美味しく、私はよくいった。