『やってやれるのが嬉しいねん』
7年前の母の病気発覚までは
母
は、施設長など担うキャリアウーマン。
そして私
は、
長女出産
、長男出産
で絶賛子育て中の身。
親
になっても思い切り実母を頼るという
今となっては
めっちゃめちゃ憧れる3世代で過ごす
幸せな絵づら![]()
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専業主婦である私を見兼ねて
外食時、買い物時も
収入のある母が
支払ってくれることがありました![]()
でも
女性が一人で生きていく。
将来の為、
節約して過ごす母
を知っていた私
は
簡単には甘えられず
世でもよく見かけるレジ前でのあれ。
『いやいや、お母さん、あかんあかん。
』
みたいなのをするけど
母は決まって
『やってやれるのが嬉しいねん
』
『これでまた頑張れるねん
』
と今思うと泣けること言ってくれて
母よー
払ってくれる方の人間がよくするあれ。
まるでバスケのゴール前のデイフェンス
みたいに
体でグイっとレジ前を守り、
支払ってくれました。
今思っても
あの時の母は、嬉しそうだった気がします。
そして徐々に進むという
意味性認知症が発覚しました。
私の中で
昨日まで頼れた母は
今日から突然障害者手帳を持つことになり
病を患う人間になり
世の中では弱者に。
途端に頼ってはいけない気になる。
でも
突然頼らない
なんて、
母を傷つける気もする。
ただでさえ落ち込んでいるだろう母に
あなたは病人
それを思い切り思い知らせる行為な気がして。
しかも実際は、まだ頼れるんです。
だって昨日まで
バスケのデイフェンス![]()
してたから。
まだ施設長だし。
ただ、昨日と違うのは
『母の脳内で健全な脳とは違うことが起こり始めている』
それがわかっただけ。
『やってやれるのが嬉しいねん』
やってやりたい人間が
やってもらうばかりの人間になることは
生きていく力を大きく失うだろうから
だからやっぱり
母に生きる力を与えるべく
できるだけ頼ろう。
そう接してきました。
お母さん、あなたは私にとって必要な人なんです。
そう伝えたくって
生きる力を失わないでほしくって。
あれから
母の脳の中に分からないことが増えていって
それでも
誕生日は誕生日プレゼントを。
旅行先では旅行代金を。
母宅に行けば黒飴を。
いつもいつでも
やってやりたい
を表してくれた母は
今でも
ペットボトルを見たら
私
に、孫![]()
に差し出してくれる。
『ととととととと
』って。
とても嬉しそうに。
その精一杯の
母のやってやりたいを見ると
私
はとてつもなく嬉しくなる。
まだまだ生きる力を持ってくれてる気がして。
そして
やってやりたい
は
やってもらう方も
やってやれる方も
本来めちゃめちゃ幸せにするものなんだって
はっ
とさせられる。
私のやってやりたいは
いつも
必死になって悲壮で
そういう大事なものを感じられなくなるばかり。
母
がそれをまたまた教えてくれて
母はまだまだ私
にやってくれる。
まだまだやってもらえるのが
またまた私
も嬉しくて
今は、あの
めちゃめちゃ憧れる3世代の絵づらとは
ちがうけれど
そういう幸せがあります。
