もうすぐ多くの皆さんとサヨナラ![]()
の時を
迎える前に!と![]()
アメトピの通りすがりの多くの方の目に止まる今![]()
こんな機会はもう無いので
無い頭をフル回転にして![]()
これまでの42年を急いで振り返り![]()
自分の伝えたいことを
一気にランキング化せざるを得なくなった私
です![]()
いそげー---![]()
私は、
母が意味性認知症だと診断を受けたその日から
母本人が、
自分の口でそれを誰にも公表しない姿に
母の意思や想いを尊重し
家族以外の誰にも話さず過ごしていました。
友人にも
親戚にも
職場の人にも
病気に気が付かれないように
相手に言われて分からなかった言葉は、
単語を書き写し![]()
自宅で検索してる母の努力も知っていたからです![]()
そうして
誰にも言わずに
母を隣で支えていたら
気が付くと
とっても孤独な介護になっていました。
内向きな介護です。
そして
私がしっかりしなきゃと育てられた長女であることや
人に助けを求めるタイミングが分からないタイプであること
母を連れ出すと
外出先で
色んな人に謝らなければならないこと
なども
その内向きさをまた煽りました。
母
は、進んでいく病状のせいで
まるで吹っ切れていくように見えるのですが
私
は逆で
ちょっとずつ増える母の我が道を行く行動に
疲弊し始めました
そうして
次第に増えゆく
日常のちょっとした苦しい時間や
辛い負担を外に吐き出すことなく過ごし
自宅に戻れば
家事、育児
に追われました。
『辛い。。。』
『もういやや。。。』
いつも皆が寝てから
泣きながら日記を書きました。
それだけが自分の胸にたまった
はち切れそうな心の闇を吐き出せる時間。
そんなことを繰り返していたら
ますます誰にも話せなくなり![]()
家に帰ると
子供の前で泣いてしまうようになりました![]()
訳もなくイライラし
訳もなく涙が出て
髪の毛が全部抜けるんじゃないかと思う毎日でした。
『自分さえ我慢すればいい』
そんなカッコいいことでも思っていたのかもしれませんが
確実に
その我慢は
一緒に暮らす人たちに闇を与えていました。
『ちょっと助けてほしい。』
そう主人にでも
友人にでも
ちょっとでも言えていたなら
きっと何かが変わっていたかもしれません。
でもそれをちょっと言うのが
とても下手でした。
苦手でした。
そして頑張れるまで
頑張っていたら
ある日
目の前のゴミを拾えなくなりました。
朝起きたら
船に乗ったように
ずー-と揺れた空間の中で
まっすぐ歩けなくなりました。
脳が
私の脳が
うまく動かへん・・・![]()
本当に本当に怖かったです。
まさか
私が今日から支える側ではなく
支えられる側になるのかと震えました。
そこまでになって
初めて
気が付きました。
支える側がどこまでも無理してはいけない。
自分のキャパをもっと弁えなければ支え続けられない。
支える側がもっと楽になっていいんだ。
我慢しても耐えてもいいことなんて何もない。
人にもっと助けを求めるべきだ。
弱い者を守ることに目を向けるばかりで
自分を過信し
どこまでもやってしまうことで
自分の心と体の健康を失うところでした。
長く長くなりました。
私が伝えたかったこと、
それは
大好きな家族を介護していると
どうしても弱い家族のために
自分が我慢するのが当たり前で
どこまで頑張るという線引きも出来ず
周りに『助けてほしい』と
言うタイミングが分からなくなり
また我慢して
我慢して
苦しみは増える一方です。
そして苦しみが減る事はありません。
自分はもっと助けを求めていいんだ。
もっと休んでいいんだ。
そう心から思えただけで
そう自分で言えただけで
魔法にかかったように
心が軽くなり
周りも変わっていきました。
そして
助けを求めることや
休める環境を作ることに労力を費やすようになって
今では
いかにサボるかを考えてばかりの
ヤバイやつに成長しました![]()
ヤバイやつですが
私が笑うと家族も笑っています。
きっとこれでいいんです。
だから
もし
これを読んで下さった方誰か一人でも
『ちょっと助けを求めてみようかな・・・』
『もう少し休みを増やそうかな・・・・』
って
助けを求める事が出来たり
休むことに罪悪感を抱かず
少しサボれる時間が生まれてくれたら
もう最高です![]()
サボって笑って
また頑張って
サボって
サボって
サボって・・・
ん?
サボってばっかり![]()
![]()
終わりが決まっていないこの道ですが
こんなチキンな私でも
なんとかやっていけそうです![]()
![]()
長い長い文を読むのに
お時間費やして下さり
本当にありがとうございました。
ここに辿りついて下さり感謝ばかりです。
