今から8か月前、

施設事故での入院中に母が突然食事を拒否し続け

約1か月経った頃、コロナ禍の入院で病院とのコミュニケーションがうまく取れませんでしたショボーン

やっと母の様子を動画で見せてもらえたあの時 

甘い物ばかり食べて大きくなっていたはずの母の体が

本当に骨と皮だけになり、

それでも渡されたカルピスのペットボトルを逆さにして

ベット横に流している母の姿は今も忘れる事が出来ません。

 

母の行動を四六時中見守る事が叶わないくらい

母はついこないだまで元気すぎました。

だから私は、母の病気は受け入れていましたが

母の死までは想像することはありませんでした。

 

ですが、骨と皮になった母をこの目で確認した時

母の死は、とても近くにあり得るんだと

とても怖くなり

初めて母の死を身近に感じました。

そして

あれから私の周りでは

事故や病気で亡くなる方々が続き

人の生死をその都度考えずにいられません。

そして母、父、義父義母、そして自分の最期もよく想像するようになりました。

 

 

人は必ず死にますが、死に方は選べません。

それでも、自分の最期を想像し、

与えられた今を大切に、今感じるべきことや生き方を見つめ直すことや

大切な人たちの最期を少しでもいい方向に向かう為の知識があることは

決して悪くないのではないかなぁと感じています。

 

そんな今の私にピッタリの本を見つけました。

 

 

とてもインパクトのある題名ですよね笑

 

 

私の住む神戸と大阪の間に位置する尼崎の在宅医長尾先生の本です。

年中無休で在宅医としての熱意を持って日々走り回る

長尾先生の知識と経験の詰まったこの本は

多くの看取りを経験された先生ならではの視点で

「平穏死」について書かれています。

自宅で最期を迎えるのに多くの影響を与える在宅医の選び方も記してらっしゃいます

 

私は人の亡くなる瞬間に立ち会ったことはありません。

だから人の最期というものを想像しにくいのですが

この本を読んで

初めて自分の最期も具体的に想像しました。

 

人生の最後に

痛い、苦しいは辛い。 誰でもそうですよね。

命が縮んでも痛みや苦しみは取り除きたい。私は。

できれば自宅で過ごしたい。  自分の願望だけを言えば。

何を出来なくても。    出来る事は多い方がありがたいですが

命が縮んでも。   あくまで今の自分の意見です。

もし食べられるなら大好きな物、美味しいなーと思える物を少しでも食べれたらいいな。

でも食べれなくなったら、自然の流れでそれでいい。  そう思うと母の胃ろうはどうなんだろうか。。。

いい香りやきれいな物を周りに飾って

暗く、辛い気持ちは少しでも和らげ

心が少しでも明るく、穏やかにいられたら少しは救われるものもあるのかなぁ。。。

 

まだまだ元気といえるこんな自分が

こうして想像し、考え、向き合うことが一体何になるのかとも思われるかもしれません。

でも、こんな自分が意思疎通の出来ない母の代わりに

この先、母の生死を分けるような大きな判断をしなければならないのだから

いつ何時もぶれない、確かなものをどこかで探してしまいます。

臆病で小さな自分にはきっと抱えきれず、とても怖いのです。

怖いけれど

逃げる事が出来ない大きな責任を背負うだろう自分は

母がきっと望むだろう方向へと導けるように

日々母の「生きる」を追求しています。

 

 

 

 

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