母の変わり果てた姿に

私たちの考えは一変。

 

 

 

胃ろうを視野に入れ

栄養サポートチームの先生の説明を聞きました。

 

ですが

私としては

今回の選択において胃ろうについては散々調べましたし、

看護師さんに相談したり

ネットでメリットデメリットを調べ

実際、胃ろう造設した親戚の話も聞き

そのうえで、胃ろうには否定的な考えだったわけで・・・。

 

ですがあのミイラのように骨と皮になった母がこのまま命を終わらせるのも違いました。

 

少し揺れる気持ちもぬぐえない私は

決定的なものが欲しくって先生に尋ねました。

 

 

私    『先生の奥様やお母さまが、

      母のような状態でも先生は胃ろう造設されますか??』

 

 

お医者さんは嫌がるだろう質問。

気分を害して嫌な言葉を吐かれるかもしれない。

それを覚悟で聞きました。

 

 

質問を聞き、先生は黙りました。

私たち家族3人、ソーシャルワーカー、リハビリ師、看護師、研修生2人が

いる部屋は一瞬静まりました。

そして先生は

 

 

 

先生    『・・・・そうですね。私が同じ立場でも胃ろう造設します。

       私はここ2年で父と母を看取る経験をしましたし、うちの両親は

   尊厳死協会に入っていて、サインしているものですから、実際は叶いませんが

お母さまのように、まだまだ出来る事があり、お若いわけですから

今回の胃ろうは延命ではなく、命をつなぐ手段だと考えます。』

 

 

私の知ってるお医者さんと、違いました、この先生ちゅー

先生の言葉に一気に大きな確信を持ち

踏み切ることに迷いがなくなりました。

 

このあと、母が胃ろうに向いているか、色んな検査をし

早急に胃ろう造設手術を受けました。

胃ろう手術を受けたのは入院してから2か月半。

食べなくなって1か月半。

母の体は限界だったと思います。

 

術後の異常な下痢などもなく、

順調に過ごしていると先生直々にご連絡いただき

ひとまず私たちは安心しました ちゅーちゅー

一命をとりとめた、そんなイメージでした。

 

 

胃ろう造設から1週間。

 

今度は整形の先生からの病状説明に呼ばれ

今回は妹は仕事を休むまでもないと判断したようで

私と父だけで

今後在宅で気を付けなければならない事など質問事項を考えて向かいました。

 

先生のいる部屋に招かれ

母はもうどこをどう動かしてもいいという事 ウインク

かと言って転倒すれば別の場所が骨折する可能性が高いので注意だとか。

あれこれ質問していると

突然先生は、隣の部屋へ。

 

先生   『こちらへ来てください!!』

 

 

え、突然何?!?!滝汗滝汗

 

訳も分からず、付いていきました。

 

な、な、な、な、なんと!!!!!

 

そこには母がいました!!!!

 

 

私     『え、ポーンえ、ポーンおかあさん!!!!!!ポーンポーンポーン

 

 

実物の母は、痩せてはいましたが

もうミイラではなくなっていました。

 

私の興奮をよそに

先生は、車いすで抑制帯をつけた母の足の可動域を私に見せながら説明しています。

 

が私はそんな説明全く入ってきませんおいで

母に会うのはあの転落事故以来。

3か月弱ぶり。

毎日心配で心配で長かったーーーーー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

母の車いすの前にしゃがみ、母の目に入ろうと必死で母の向く方に

顔を合わせますが

私は母の目になかなか入りませんアセアセ

母はずっと落ち着かない様子で右に右差し左に左差し手を伸ばし動いています。

それでも負けじと

 

私     『おかあさーーーん!!笑い泣きmakeiko!!makeikoやで!わかる??笑い泣き笑い泣き

 

 

何度呼びかけても、反応せず。

抱きしめても、体をゆすっても。

私を見ても ゲロー

 

 

覚悟はしていました。

誰も知らない場所に突然運ばれ

3か月弱ベットに拘束されるだけの日々。

あんなに毎日自分の生活をしていたのに。

母の頭の中は、どんな3か月だったんだろう。

想像もつきません。

新しいルーティンを体で覚えていき

単純な作業だったんでしょうか??

それとも苦しく悲しい毎日だったんでしょうか??

そんな月日を過ごしてきたんです。

一気に私の事なんか忘れてしまってるだろう。。。と。

 

 

3月生まれの私。

今年3月になった時

母が自分で忘れてしまわぬよう、携帯のメモに残した

 子供3人の名前と生年月日 を私に見せながら

『すごいな。』

って笑いかけてくれて。

私の誕生日、まだ分かってくれてるんだね。

母親ってすごいなーーー。

今年はもうさすがに誕生日を覚えてないだろうと思っていたので

ビックリし嬉しくって感激でした笑い泣き

 

 

母はいずれ私を分からなくなる、そういう病気。

分かっていましたが

思っていたより早かったです。

 

でもそんなことより

この時は会えた嬉しさが勝って

母は、私を分からないのに

 

 

私    『お母さん!大変やったな、会いたかった!!』

 

 

一方的に喜んで話していましたちゅー

 

 

母が私を分からなくても

私が母をわかっていればいい。

 

 

もうすぐ母は帰ってきます。

 

インテリア好きの母のオブジェ