【今日も失便の話です。読みたくない方は飛ばしてくださいねニコニコ

失便時はいつも下痢気味。

きっと間に合わないんだ、と思い、主治医に相談し

薬の調整もしましたが

頻度も少しづつ増えてきました滝汗

 

今のところ、いつも決まって朝7時の妹の出勤前のみの失便でしたが

これからは??滝汗滝汗

そんな不安もあるし

妹も毎朝ドキドキで

失便があった日は、もちろん処理しなくてはならず

毎回仕事を急遽休み、職場でも肩身の狭い想いをすることに。

 

 

いつも臭さで気が付き

大体の流れはこうだったそうです。 

 

 

母は自分でなんとか汚れを取ろうと

手で拭きとろうとし、うまく取れず、のばして広げていく。。

 

妹  『お、お母さんポーン!!やるからやるから!!』

 

駆けつけますが

 

母   『大変やわ・・・真顔真顔

 

そう言いながら又一生懸命汚れを手で伸ばしつづけ。ゲローゲローゲロー

 

何度止めても

もう汚れを取る事に必死になっているので抑制出来ません。

 

妹   『大丈夫!やるから!!笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

母   『大変やわ。。。真顔真顔真顔

 

妹   『やるって!!ムキームキー

 

母   『大変やわ。。真顔真顔真顔

 

とやめてくれず、60歳でまだまだパワーはあります。

細く小さな妹は払いのけられ

とうとうシンクでラグを洗い

シンクも大惨事アセアセアセアセアセアセ

 

足にも便がついたまま、色んな場所についてる汚れを発見し

掃除しようと動き回り

便は家中に広がるばかりチーンチーンチーン

 

とにかく母をきれいにしないと

広がる一方で

母をお風呂場に無理やり連れて行く

でも母は掃除がしたい

 

妹   『おかあさん!!!!えーんえーんえーん

 

 

 

    『こっち!!!プンプンプンプンプンプン

    『洗おう!!!!!えーんえーんえーん

 

 

ここでも格闘。

妹、服を無理やり脱がせて、アセアセ母、でも掃除しに行こうとするアセアセ

妹、なんとか脱がせる、アセアセ母、今度はその服の汚れを洗面所で洗おうとするアセアセアセアセ

妹、洗おうとする服を取り上げ、お風呂に誘導、アセアセアセアセ

シャワーで母を洗おうとするのも

 

母   『やめて!!!ムキームキームキー

 

嫌がり、そのまま出ようとするのを

全身で全力で止めてドンッ

お互いビシャビシャになりながらなんとか汚れを落とさせる。ゲッソリ

着替えも嫌がる、汚れを取ろうとまた汚れる、

妹は母より先に汚れた部分を掃除し

汚れた母の手を洗わせ・・・の繰り返し。

ずっと臭くて麻痺し、もう臭いのか臭くないのか全く分からなくなる中

永遠掃除、除菌。叫び叫び叫び

 

ラグや、下着、パンツ、もう使えなさそうな物はその都度破棄

ごみの日はラッキーですが

そうじゃない日は、何重にもゴミ袋で縛り

臭いが出来るだけ出ぬ様ベランダに出しておくのですが

それを母が見つけて、家の中へ。

 

妹   『いや!!!!おかあさん!!!えーんえーん

 

母     『これやるから。真顔真顔真顔

 

 

妹    『いやや!!!!えーんえーん

 

 

母     『やるから!!真顔真顔真顔

 

母は自分の下着、着ていた服をうんちまみれのまま、洗濯機へ入れて洗おうとし

 

 

妹  『あかーーーーーーーーん!!!ゲローゲロー

 

 

母    『やるから!!!』

 

妹      『あかんえーんあかん!!!!えーん

 

母     『やるから!!!』

 

奪い合い。。。

 

 

奪って捨てた物、また袋から出して洗おうと。。。。

 

 

またこのやり合い。。。

 

 

 

妹に聞いた事をそのままここでお伝えしていますが

ここに綴りながら、どんなに大変だったか、、、痛感します。。。ショボーン

 

 

母は、ただただ汚れが気になり、きれいにしたいだけなのですが

やはり優しく見守る事の出来ない事

妹の心労は絶えませんでした。

 

 

この攻防戦が、初めての失便時、3週間に1度から

10か月後、1週間に1度くらいになっていきます。。。

 

 

私は、姉妹で在宅介護開始時に決めていた

 

『便の事が始まった時、それは在宅介護の限界の時』

 

もうその時なんだと妹に話すようになりました。

 

 

妹は

母がこの病気発覚時に

『私、施設にはいらなあかんの??』

『施設だけはいやや。』

『死にたい。。。』

そう私たちに訴えた言葉が頭から離れず

苦しんでいました。

 

この言葉は、話せなくなった母の遺言のように私たちとって

母の最後の想い、願いとしてのこっている言葉です。

 

私もこの言葉を胸に今まで母を支えてきました。

 

でも、優しい妹、自分をいくらでも犠牲にする妹、を知っていて

姉として

妹の人生も考えた時

ここは、私が施設入所を検討させる時だと感じました。

 

実際、見学だけでも行ってみよう。

 

見学で得る物もあるはずだ。

 

と時間をかけて

姉妹で心の整理をしていく日々が始まりました。