先週の話になりますが、母屋の内部等、一部解体が進んだ事で少し図面を書く事ができました。



一応、住居兼工房(鍛冶工房とパン工房)という事で使用目的を変更する予定は今の所ありません。
ですが、将来、例えばカフェを併設したりするとなると、それらの変更手続きが必要になりますよね。
その時のためにも図面を起こしておく必要もありますので。
建築士に全部依頼すると、大変な金額になりますからね。


外側は大壁ですが、部屋内側は真壁状態ですので、まだ柱の芯を追う事ができますので、スケールを当てて通り芯を測った訳ですが。
日頃、メートル法しか使わないのもあって、そのまま控えていた訳ですよ。
それもあるんですが、墨がはっきりと残っている柱ばかりではありませんし、曲がった柱を多用しているため逃げ墨もあるんでしょう。
なんかおかしいなと思いつつ、CADで図面を書き始めた次第ですね。

一応、わかっている範囲で書けたんですが、やっぱりなんかおかしい。
その違和感の理由が、その時点ではよくわからなかったんですが。

江戸時代末期に建てられた建物。
当時はメートル法ではなく、尺貫法ですよね。
念のため尺貫法での表記もしてみた訳ですよ。

例えばスケールで測ると1310mmとなっている訳ですが、尺に置き換えると四尺三寸五分、もしくは四尺四寸のどちらかのはずなんですよ。
しかし四尺四寸であれば約1320mmという事になりますよね。実測値から10mmもずれるはずはないよなと。
そんな訳で、ちょっと時間かかりましたけれど、近似値に揃える形で尺に置き換えたんですよ。

かなり曲がった柱が多用されているので、本来の芯ではなく逃げ墨を打ってあるのもあるんだろうと思いますけれどね。

これは納屋の二階の屋根を支える梁の様子ですが、意味がわかりますでしょうか?
本来、仕口がくる部分ではなく、木材の形のまま別の所にかかってるんですよ。
通り芯が存在していながら存在していないようなものですよね。


尺に置き換えた図面を見ながら思ったんですが、それにしても変則的な通り芯ですよね。

会津の友人にもなにそれって言われたんですが、岡山、広島、山口の辺りまでは基本的に960mmピッチになる事が多いんですよ。
それが当たり前だと思ってたんですけどね(笑)
960×960=1920mmになりますが、それが通り芯。
柱のサイズが三寸五分(105mm)であれば半分の52.5mmという事になりますね。
それが両端にある訳ですので、合計105mm引かれる訳ですので、1815mmという事になります。
例えば構造用合板の一枚の長さが1820mmですので、材料の無駄は少なくなりますよね。
あるいは廊下の幅も元々それだけ広い訳ですのでバリアフリーにも対応しやすい訳ですよ。

話が脱線しましたが、江戸時代も完全にモジュール化していた訳ではないという事なのかなと。
この江戸時代の棟梁も、何を意図してこのような通り芯になっているのか、いろいろと尋ねてみたいですね。
ま、時間を遡る能力はありませんので無理ですが。


ところで、室内解体が少し進んで、新たな問題が出てきました。
この件はまた次回に。