一昨日の日曜日、解体した土塀の壁土を片付けた後、土塀裏の草刈りや、老朽化で崩壊している建具の撤去と、臨時で合板で塞いだりした後に、残地家財の片付けをしていました。
そして、箪笥の引き出しから出てきた一枚の絵図。

最初は、なんだろ?って思いました。
どうも、この家の見取り図のようにも見えたんですが、微妙に位置関係が違っていたりして、やっぱりわからなくて、とりあえず処分するものとは別にして片付けのほうを進めていました。
片付けを終えて、一度帰る用意をした後、再びじーっとこの見取り図を見ていたんですが。
鬼門の方角、現在の井戸の位置、母屋と思われる建物の間取り、柱のスパンなどから、やはりこの家の見取り図で間違いないだろうと。
現在、離れが建っている場所に、かつて門があったようですね。

そして、庭に別棟の蔵、六畳一間ともう一間あったようです。
今も庭に礎石が残っているので、建物でもあったのかな?とは思っていましたが。
使用人がいて、その住まいだったのかもしれませんね。
母屋の位置と現在、納屋になっている建物との間隔が実際とは違っていたりするのが、少し気になる所ですが、単なる間違いなのか、あるいはなんらかの事情があって、どちらかの建物を曳家(移動)させたのか・・・。可能性がないとは言えませんよね。

嘉永三年戌年という元号、年号と共に、この家を建てた大工の棟梁と思われる人物の署名と落款。

ちょっと調べてみたんですが、嘉永六年が、我々もよく知るペリー提督の黒船来航のあった年。
嘉永七年が、様々な事象を嫌って朝廷の意向で元号を変更、安政元年となった年。その後「安政の大獄」とか、「桜田門外の変」とか、歴史的に重要な事象事件が続いた時代。
その黒船来航より三年ほど前に建築された可能性が高いなと。
上棟札との整合性を確認できていませんけれどね。
所有者さんには、明治後期に建てられた家と聞いていたんですが、築100年やそこらの家ではなく、170年くらい前の家という事になります。
いやはや、思っていた以上に歴史のある家を引き継ぐ事になった訳で、身の引き締まる思いというか、ヘンな高揚感が二日経った今でも続いている訳ですが。
考えてみれば、現代においてCADで書いてる図面が、果たして200年先まで残っているでしょうか?
旧家ではありますが、一般の家ですよ。
現代に建てられた建物は200年先、跡形もなくなってる家のほうが多いでしょうね。
そして、そもそも「学校」「義務教育」がない時代で、識字率も低かった時代に、これだけ事細かく記入されているという事は、当時の大工の棟梁の勉強というのは、現代以上に大変だったのではないかと。そして尊敬される人物像だったのではないかと思います。
この見取り図、今はとてもそんな余裕がありませんが、是非、表装に出して保管状態をより良いものにして、後世に伝えたいと思います。
この家を建てた大工の棟梁の思いも一緒に。
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そして、箪笥の引き出しから出てきた一枚の絵図。

最初は、なんだろ?って思いました。
どうも、この家の見取り図のようにも見えたんですが、微妙に位置関係が違っていたりして、やっぱりわからなくて、とりあえず処分するものとは別にして片付けのほうを進めていました。
片付けを終えて、一度帰る用意をした後、再びじーっとこの見取り図を見ていたんですが。
鬼門の方角、現在の井戸の位置、母屋と思われる建物の間取り、柱のスパンなどから、やはりこの家の見取り図で間違いないだろうと。
現在、離れが建っている場所に、かつて門があったようですね。

そして、庭に別棟の蔵、六畳一間ともう一間あったようです。
今も庭に礎石が残っているので、建物でもあったのかな?とは思っていましたが。
使用人がいて、その住まいだったのかもしれませんね。
母屋の位置と現在、納屋になっている建物との間隔が実際とは違っていたりするのが、少し気になる所ですが、単なる間違いなのか、あるいはなんらかの事情があって、どちらかの建物を曳家(移動)させたのか・・・。可能性がないとは言えませんよね。

嘉永三年戌年という元号、年号と共に、この家を建てた大工の棟梁と思われる人物の署名と落款。

ちょっと調べてみたんですが、嘉永六年が、我々もよく知るペリー提督の黒船来航のあった年。
嘉永七年が、様々な事象を嫌って朝廷の意向で元号を変更、安政元年となった年。その後「安政の大獄」とか、「桜田門外の変」とか、歴史的に重要な事象事件が続いた時代。
その黒船来航より三年ほど前に建築された可能性が高いなと。
上棟札との整合性を確認できていませんけれどね。
所有者さんには、明治後期に建てられた家と聞いていたんですが、築100年やそこらの家ではなく、170年くらい前の家という事になります。
いやはや、思っていた以上に歴史のある家を引き継ぐ事になった訳で、身の引き締まる思いというか、ヘンな高揚感が二日経った今でも続いている訳ですが。
考えてみれば、現代においてCADで書いてる図面が、果たして200年先まで残っているでしょうか?
旧家ではありますが、一般の家ですよ。
現代に建てられた建物は200年先、跡形もなくなってる家のほうが多いでしょうね。
そして、そもそも「学校」「義務教育」がない時代で、識字率も低かった時代に、これだけ事細かく記入されているという事は、当時の大工の棟梁の勉強というのは、現代以上に大変だったのではないかと。そして尊敬される人物像だったのではないかと思います。
この見取り図、今はとてもそんな余裕がありませんが、是非、表装に出して保管状態をより良いものにして、後世に伝えたいと思います。
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