少し長くなると思うので、何度か加筆修正する事になると思います。

 

僕は岐阜の白川郷が好きで、これまでにも何度か訪ねています。

合掌造りの木造建築群、独特の風景もさることながら、そしてあの地方に限らず、かつての日本のあちこちの地域にあった「結」という考え方に興味があって。

 

ご存知かと思いますが、あの地域はかつて、陸の上の絶海の孤島と同じ地域で、村・・・というより地域と一括りにしたほうがいいのかな?

その中で総て完結できる生活があった訳で。

食料の自給だけでなく、黒色火薬の製造(加賀藩の直轄)から製鉄に至るまで。

絶海の孤島といいつつ、ちゃんと交易のルート自体は確立できていた訳ですけどね。

 

「結」という考え方の根本は、本来の人間の生活のあり方そのものなのかなと。

 

例えば家を建てるとなると、村人総出で建前を手伝う。

長瀬家の建物を見学もさせて頂きましたけれど、あの極太ケヤキの桁。一本10t以上はある重さの構造材を、重機もない時代に人力だけで建前を行ってる訳ですからね。

村人全員に酒を飲ませて、べろんべろんの状態にして、勢いだけで。

建前に何日かかったのかはわからないけれど。

屋根の葺き替えにも、相当な労力がかかる訳で、これも村人総出で手伝う。

もちろん、職業大工も存在はするんだけど、基本的に自分たちで家を建ててしまう。

強制ではなく、お互い様。自分の家の普請が終わって隣の家を建てる際には手伝って。

 

かいつまんでいえば、そんな感じなのだけど、この考え方を現代に蘇らせる・・・ってのは大げさかもしれないけど、利用できないものかと常々考えてるんですけどね。

 

 

唐突な話かもしれませんが、子供の貧困が聞かれるようになってるこの頃。

生活レベルを下げる事なく、生活コストを削減する事はできるはずなんですよ。

なんなんでしょうね。巨大な歯車の中で一緒に回り続けていないと生活できないっていう・・・

人間の生活って本来そうじゃないだろ?と常々思ってるんですよ。

 

で、そこに「結」っていう考え方を当てはめる事はできないのか?と。

弱者は弱者なりに防衛する術があっていいと思うんですけどね。

思考を停止しなければ、いくらでも方法ってあるはずなんですけどね。

世界中には、そのモデルになる方法を採っている集まり、あちこちにあるんですけどね。

孤立するんじゃなくて、弱者は弱者で集まれば、それだけの力も集まるはずなんですけどね。

 

 

 

 

 

 

また後日、加筆すると思います。