「友達」について認知行動療法で書いてほしいという注文をうけました。

私が書くとするとサイコドラマになります。それでいいでしょうか。


その前にまり子の文にシェアリングをしたいと思います。

「本当の友達」

http://ameblo.jp/makebodysupportmind/entry-11946647226.html


私の友達というと、高校時代からの親友の白井健策君と慈恵医大の学友矢内伸夫君が浮かんできます。私がルーテル学院大学を退職するときに最終講義の形で上演した精神保健の歴史と私自身の人生を振り返ったソシオドラマの中でも、この二人が登場しました。二人とも故人ですが、矢内君は、慈恵医大でミュージカルを上演した仲間で、その音楽を作曲してくれたのが白井君です。


矢内君は私の支え手でした。いろいろ困っているときに助けに来てくれました。しかし、白井君とは小石川高校という思春期からの仲間で、友達になるまではいろいろありました。今ならいじめみたいなこともされましたし、本当に信じていいのか迷ったこともあります。二人で卒業旅行をして1週間を共にしたときも最後は大喧嘩をして別れました。私への批判は遠慮せず、私が栃木県で「内観」というワークショップの体験を受けた時には、彼が朝日新聞に連載していた「天声人語」の材料にされました。それでも、彼と一緒にいると楽しく、お互いに言いたいことを言い合う仲間でした。


つまり、友達には、サポーターになってくれるありがたい友達と、厳しいことを言うが、それでも許せる気の置けない友達とがいるように思います。どちらの友達も大事です。

矢内君のような友達だけを友達だと思っていると、やがて友達はいなくなるでしょう。こんな歌があります。♪友達というものは、こうもり傘のようなもの、役に立つのは雨降りのときよ。ひどいことを言う奴だ、こうもり傘を指すものは雨には濡れないけれど、こうもり傘にされるのは、ごめんこうもりがーさ♪ 


大喧嘩をして親友になった話を聴きますが、それは、その人との真の交流が生まれるからなのでしょうね。いろんな面があって、それでもつきあえるときにともだちになれるのではないでしょうか。そのために、サイコドラマでは、その人の役を演じてみるという方法がありますが、その前に、次回は認知行動療法でどうやるかをお話ししましょう。