「怒られること」という基準 | One! 

「怒られること」という基準

前回、マイケルのエントリで書きました。

This is it!エントリ

自分の表現力の基準は、

自分で引く。

限界まで、常に高め、

再度、引き直していこう。


その線の引き方について、

「人に怒られなくなったら終わり」という価値観ですFrom親父。

なんですが、怒るってことに二つあると思うんですね。

①未熟すぎる、未完成すぎる、質が低すぎる

これは当然のようにあって、ボクにもまだまだあります。

このレベルの低さによって導き出される怒り。

これは、ある種、他人から強制的に線を引き直されます。

②相手の領域を侵害する 

戦争が怒るんですね。
国境越えたというイメージに近いでしょうか。

他人の領域侵害だったり、

権限だったり、裁量を越えることです。

これは戦争ではNGだし、

上手くやらなきゃいけないんですけど、

ビジネスの世界では、日々繰り返されます。

アップルがiPodでソニーの領域を超えたように。

以上、この二つの側面から、

「人に怒られなくなったら終わり」

という価値観を大事にしようと、

再認識しようと、ふと思いました。

つまり・・・

自分の表現力の基準は、

自分で引く。

限界まで、常に高め、

再度、引き直していこう。


という線を引く行為は、

他人に怒ってもらって引き直すか、

てめえで、もっとココって引き直すか、

どっちかだと思うんですね。

もし、怒られなければ、

環境を変更するしかないか。

自分が努力することを怠っているか。

のどちらかですから。

となると、前者の変わるって事は、

大前研一で繋ぎます。

『人間が変わる方法は三つしかない。

時間配分を変える。

住む場所を変える。

つきあう人を変える。

最も無意味なのは、決意を新たにすること』

まぁ、言い訳ばっか作って、その場から逃げて、

怒られるの避けてるような奴らは、

鼻からヤバイってことだけは事実。


この大前研一の言葉、

ずうっとどこにあったか探してて、

後輩が見つけてくれて感謝。

お返しに、

大前研一訳 ダイニエル・ピンク「ハイコンセプト」は、

今の広告マン必須の論文だと個人的には思ってます。

てか、みんな基礎中の基礎で、真新しくないかも。

そしたらスミマセン。

今日は、何か、自問自答のような、つまらない話でした。