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自分の考えや氣持ちを言葉にするためのブログ

「目の前の出来事をすぐに、どうにかしようとするのをやめてみる」
をテーマに生きていくためのリハビリブログです。

後から
自分が読み返したくなる
ブログを書けれるようにしたいと思っています。

新年あけまして

おめでとうございます。


早速ですが

この4ヶ月のこと①②の続きを

書いていこうと思います。


この4ヶ月のこと① では

落ち込むきっかけについて

 

落ち込みが長引く理由について

気づいたこと書きました。


さらに

もうひとつ気づいたことがある。

 

それは

自己受容、

自己肯定感が弱すぎて

自分のしたことを

全然自分で認めてなかったということです。

 

きっかけは

はっきりとは覚えていないが

ネットか本の

「褒める」ってワードをみて

ふとそう思った。

 

例えば

瞑想なら2ヶ月継続していても

何かショックな事があると

しなくなり、

しないことを

ずるずる引きずってしまう。


そこには

継続してたことをできなくなった、しなくなった自分を

嫌にもなってたりする。

 

なぜ頑張って継続してたのに、

辞めてしまうのか?

 

それがもう

自分のパターン、クセになってるというのもある。


ただ 

褒めるってワードを見たときに

こう気づいた。

 


例えば

人と話をしていて

 

その人にとっては

やって当たり前だからという理由で

 

自分のしてることなんて

大したことないですと

自分を卑下してるのを聞くと


そんなことない。

それって凄いことです!

素直に相手に伝えることは

出来るのに、

自分にはできてないし、

全くしてこなかった。

 

つまり

人の

継続して行っていること

頑張ってやってる事は

すごいと感動できるのに、

自分だと

全然認めていない

ことに気づいた。

 

だからかなぁ

せっかく

頑張ってやり続けてたことを

辞めちゃうのは。

 

で、

また何日か、何週間か、何ヶ月か経って、

また再開するというね

(ブログや瞑想もそう)

 

この心の動きって

何なんやろうと思った。

 

他人のしたことは

すごいって思える、

でも

自分のしたことは

他人に思うほどには

まったく思わない、


というか、

下手したら

もっとやらなくちゃと思ってる。

 


自分の過去を振り返って

自分の考え方や感じ方が

人と違うことに

悩みまくったときがあった。


社会の常識や普通ということが

自分には

変だったり

興味が持てなかったり

(例えば子供の頃、野球が好きじゃなかった)


逆に

自分はこう思っているのに

人に分かってもらえなかったり。


だから

そのころ

普通でいようと思った

普通になりたくって

あがいていた時期がある。

多分何十年も。


その過程で


自分のしたことは、

して当たり前

人として普通なこと、

だから

褒めるのも認めるのも必要ない

と考えたことがある。


むしろ

して当たり前

人として普通なことが

できない自分を責めるクセがある。

 


だからだろうなぁ。

何かにチャレンジしても、

長続きしなかったのも、

新しく挑戦して

どれだけ頑張っても、


頑張ってる自分、

何かを達成できた自分を

まったく

認めてないし

そんな自分をすごいとも思えない。


 

というわけで

今、

自分を褒めてみる。

を実践中です。


ささいなことも

新しくチャレンジしたことも


人としてとか

普通とか

そういう条件づけをせずに、

自分を褒めてみる


こうかなぁ

ああかなぁと

手探りでやってるところです。


こういうのもいいよと

いうのがあれば

良かったら

教えて下さい(^^)