私の考える多様性
それは
今、世間でいう多様性とは
ちょっと異なる
というより
今の多様性に疑問
なんかズレてないかと
感じる
多様性を否定する人がいたら
その人を
「今、多様性の時代なのに
そんな考え方は間違っている」と
批判していることに
すごく違和感。
例えば
性差別
同性愛に生産性がないと
同性愛者を否定する発言した人に対して
条件反射で
それは今の時代に間違っている
どか
性差別だとか
炎上するけど
私は
え?っと思う。
多様性って
簡単に言うと
「いろんな人がいていいよね〜」
だと思う。
だから
先の「同性愛者を否定する人を否定する」というのが
多様性じゃないと思っている。
また
多様性とは
突き詰めれば
「好き嫌い」なんだろう
例えば
食べ物の好き嫌いって
人それぞれ
特に
嫌いな食べ物については
嫌いな理由が
個人的な理由だったりする
それを
どうにか変えようとするのは
どうなんだ?
子供の嫌いな食べ物を
克服させようとするのも
私は違和感を感じるが
大人になって
他人の嫌いな食べ物を
食べる事が出来るようにする行為は
大きなお世話だろう
その食べ物を嫌いなんだね〜で
いいんじゃね?
こういう風に調理したら
嫌いじゃなくなるよって
うん、いや、わかるけど
こちらの嫌いという氣持ち、感情を
変えようとする行為は
こちらの存在を否定してるよね?と感じる。
その食べ物を嫌いなことが
周りに迷惑をかけることって少ないだろう
こんな風に
食べ物の好き嫌いと同じように
先の性差別をする人の発言を
例えとしてあげるのなら
同性愛者が嫌いなんだなぁでいいのでは?
ただ、
性差別をしてくる人が
特定の個人攻撃や
団体を
否定、批判してきたのなら
それはやめようよと思う
食べ物で言えば
トマトが嫌いだから
トマトを生産する人を攻撃したり
トマトそのもの無くそうという運動したりするのって
あまりにも
自分本位
自分勝手
他人の存在を否定する行為だから
それはやめようよと思うし
そんな行動は
やめようよとになるけど
トマトが嫌いと
考えることや
嫌いと感じるのは
仕方ないよね〜でいいのでは?
で、
今の時代
こういう線引きが
できていない人が多い。
性差別なんて間違いだ!ではなく
あなたは性差別するんだね〜
そういう人とは仲良くする氣にはなれないなぁで
いいのでは?と思う。
わざわざ
否定、批判しに行く理由は
その人の中にある
自分の行動の理由、源を
きちんと見つめる方がいいと
思う。
でも
差別する人に対して
嫌悪感を感じるのは
仕方ないけどね
その嫌悪感をベースにして
他人をどうにかしようと
行動するのは
結局
差別するひとの行動と同じになっちゃうのでは
と
私は思っている。