カンゼ芝浦レジデンス/設計 | 物件と設計会社によるデザイン性

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カンゼ芝浦レジデンス/設計

■芝浦の歴史について
江戸時代
自然豊かな海辺の漁村
江戸時代、芝浦は干潟であり、まだその土地すらありませんでした。
御府内備考には「海上の番船であるとか城米引舟の役などを引き受け、
海岸よりの網干城、漁村として下賜されていた」という記事が見られます。
 
明治時代
鉄道開通と行楽地としての発展
明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開通すると、
芝近辺は発着地も近く風光明媚な土地の将来が注目されました。
温泉旅館や魚問屋から転業した活魚料理の料亭・茶店が軒を連ね、
海水浴場、花火や潮干狩りなどの行楽地、花街として賑わっていきました。 
 
大正~昭和初期
埋め立て工事と新産業の発展
明治後半から始まった東京港湾の埋め立て拡張が進んだことで
芝一体の景色も急変しました。
その後、関東大震災の東京復興の資材運送などで賑わい、
生産業の移転や新興産業も増え、新たな街としての活気がましたようです。

戦後
芝浦花街の衰退
戦争のために、疎開、移転していた花街も戦後には復活しますが
地域の建物は東京都港湾局の所轄となり、
港湾労働者のための宿泊施設として管理されるようになりました。
この頃から芝浦は港町の産業・住宅地へと性格を変えていくのです。

現在
高層化する建物
高度成長期に入ると木造の和風建築がコンクリートのビルへと変わり
東京湾も近代化・機械化し、港町としての機能も弱くなりました。
住民も郊外へと移転し、オフィス街へと変わりました。

■設計会社 : 不明