今から20年以上前の2000年に

私は一冊の本に出会い、

大げさでなく命を救われました。

 

その本とは

「片付けられない女たち」という翻訳本。

 

 

「やだこれ、私じゃん!」

 

それまで、女性として欠陥品だと

自己否定の塊だった私は、

「な~んだ。脳の障害だったんじゃ~ん!」

と、どれほど精神的に解放されたことか。

 

結婚もできず、肩身が狭かったのを

「片付けられない女だから片つかないのよ~」

と、笑い飛ばすことができるようになった。

 

例えば、学校の成績が下がって、原因を探したら、

近視で黒板の字が見えないせいだとわかったら

眼鏡を掛ければいいだけのこと。

 

又、足腰が弱ったお年寄りが、

市バスに乗る時に、

「よいこらしょ」、っと時間がかかっても、

運転手さんは、「早くしろよ!」なんて

怒鳴りませんよね。

 

一見不具合に見えることでも

原因が明確にわかっていたら、、

咎めたり非難する対象には

ならない。

ただ単に、問題に対処すれば

いいだけのこと。

 

さすがに、アメリカ人著者が勧めるような

薬物療法は採用しなかったけど、

自分をメタ認知して、

日常生活におけるトラブルを

最小限にくいとどめようと

意識的にいろいろ工夫しました。

 

そして、他の人が当たり前にできて

自分にできない事がいろいろあっても、

過度に自分を責めることをやめました。

(そのせいで迷惑をおかけしてみなさん

ごめんなさい。)

 

そして、あれから20年。

 

今や、「発達障害」は

「発達凹凸」と呼ばれるようになり、

ADHDという用語も

すっかり市民権を得て、

「あいつアスペだから。」

「私、ADHDなので」と、

日常会話でも普通に使われるように

なりました。

 

なので、私は、決めました。

 

もう「私、ADHDなので」と、

言わないことにします。

 

同じタイプの人が沢山いて、

自分もその群れの中の一人だなんて

なんか、カッコ悪いじゃん。

 

え?そんなこと、決めただけで

できるんですか?

 

はい。できるんです。

 

え?どうやって?

 

続きはまた今度。