※この記事は「歴史的仮名遣」版です。現代仮名遣い版をご覧になりたい場合は、ここをクリックしてください。

平成廿四年三月一日の宇都宮市の公示によりますと、

板戸町、刈沼町、満美穴町、野高谷町及び道場宿町の各一部(宇都宮テクノポリスセンター土地区画整理事業施行地区)

に於いて住居表示を実施するにあたり、町の区域の変更および名称の変更を行ふさうです。

区域の変更を行ふのは仕方ないとしても、名前が「ゆいの杜一丁目~ゆいの杜八丁目」と、従前の地名が全く反映されてゐません。

宇都宮市のホームページに図がありますが、これを編輯(=編集)し、変更前後でどう変はるのかを見てみることにしました。

※右端などが途切れてしまつてゐる場合には、画像をクリックしてみてください。
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するとどうでせう。
例へば、「ゆいの杜六丁目」とされる予定の地域は、現在「野高谷町(のごやまち)」である地域のみです。
三丁目から八丁目は、これは殆どが野高谷町であると言へます。
そして、一丁目はほぼ刈沼町です。
二丁目は野高谷町と刈沼町とがそれぞれ半分づつでせうか。
となればこれらは、二丁目は保留として、一丁目は「刈沼一丁目」、三丁目から八丁目までは「野高谷一丁目~野高谷六丁目」とすればよいのではありませんか。
保留と言つた二丁目については、野高谷町の方が刈沼町に比べると大きいやうですから、ここは数が増えすぎるのを避けるために「刈沼二丁目」としても良かりませう。

元の地名を踏襲しない理由は色々とあります。
しかしこの場合、一つの区切りの中の大半を占めてゐる名前を踏襲すべきだと考へます。

予めおことわり致しますが、このやうに言ふと「大半を占める町名を踏襲したら、飛び地などの小さい部分の町名は消えてしまふではないか。」と思はれてしまふかもしれません。
たしかに、板戸町、満美穴町、道場宿町は上の図だけを見ると小さな飛び地です。
しかし、たとひ町名を野高谷○丁目と刈沼○丁目とに変更しても、他三つの板戸町、満美穴町、道場宿町が消滅することにはなりません。といふのも、少し離れた場所で大半がきちんと生き続けるのです。

証拠画像を用意しました。
一番最初に載せた画像にあるやうに、飛び地は野高谷町の中にありますが、その外側に飛び地とは関係ない刈沼町は勿論、板戸町満美穴町道場宿町が立派に存在してゐることが分かります。

証拠画像
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「おことわり」はここまでにして、話を戻します。
一番最初に掲載した図の中には現在の五つの地名(板戸町、刈沼町、満美穴町、野高谷町、道場宿町)が出てゐます。
しかし、二番目に掲載した「証拠画像」からも分かるやうに、今回町名変更の対象であるのは、板戸町、刈沼町、満美穴町、野高谷町、道場宿町の「一部」であり、全部ではありません

より具体的にお話しますと、例へば野高谷町の全ての町名が変はるのではなく、野高谷町の一部(実際は約半分)の地名が変はるといふことです。
とすると、町名を踏襲したら、例へば従来の野高谷町新しく出来る野高谷町とが存在することになつてしまひ、これは不便と言へるかもしれません。
これはよくある反対理由の一つです。
しかし、「野高谷一丁目」となつてゐたら、どうでせう。「野高谷町」とは異なることが一目瞭然です。
勿論、「野高谷一丁目一番一号」を略して「野高谷1-1-1」としても、「野高谷町1番地の1」の略である「野高谷町1-1」とは一致しません。片や「町」があり、片や「町」がありません。
郵便の配達で問題が起こりさうに見えてしまふかも知れませんが、「野高谷町」と「野高谷○丁目」とは別々の郵便番号が割り当てられれば、これは問題ありません。
※今回は町域も変はるのですから、どちらにしろ新町名に於ける郵便番号は変はる運命です。

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 同じ町名の中でも、「大字の地区」と「丁目の地区」とで郵便番号が分けられてゐる事例として、埼玉県さいたま市見沼が存在します。
 ここをクリックすると、これが載つてゐるページを見られます。
 他に、愛知県名古屋市守山区瀬古福岡県北九州市八幡東区前田福岡県北九州市八幡東区尾倉大分県日田市田島が少なくともあります。(他にあるのかどうかは分かりません。)
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このやうな町名の踏襲の仕方といふのは、決して「今だけ便利」ではなく、「今後も便利」です。
といふのも、今回は変更対象とならなかつた野高谷町の残りの部分に関しても、今後は町名整理等が行はれるかも知れません。
そのときに、また野高谷町が大半を占める区域を野高谷七丁目、野高谷八丁目と追加したらどうでせう。
お分かりだと思ひますが、「野高谷町」が大半を占める部分を「野高谷○丁目」とするといふことは、最終的に「野高谷町」が少々形が変はりつつも、丸々残ることが出来るのです。
これは利便性を求めた区域変更と、歴史を残すこととの両方が叶ふ方法です。
これは飽く迄も一つの案ですが、是非とも地元の皆様方には地名・歴史を残す工夫を市に要請していただきたく存じます。

地名を残すといふのは、町名を変へて、元の町名を刻んだ石碑を残すことではありません。
勿論、これが全く意味のないことであるとは言ひません。
しかし、地名といふのは実際に使はれてこそのものです。
標本、石碑に閉ぢこめて終はりといふのは、あまりにも悲しい。
これは自然現象ではなく、飽く迄も人間が行はうとして行ふ町名変更ですから、絶滅危惧種の動物を残すこととは違ひ、人間の手で何とでも出来ます。

今回の町名変更が行はれると、刈沼町に関しては町域の三~四割「ゆいの杜」に、野高谷町に関しては町域の半分程度「ゆいの杜」に変はつてしまひます。

宇都宮市のホームページに記載のございますとほり、

変更の請求ができる人
・公示した案に係る町の区域内に住所を有する人
・公示日において宇都宮市議会の議員及び長の選挙権を有する人

変更の請求方法
請求の内容及び理由(おおむね千字以内とし、図画2枚以内を加えることができる。)を記載し、50人以上の連署(住所、生年月日、署名及び押印)により、変更の請求をすることができます。


と、私には権利がありません。
何卒地元有志の皆様方にお願ひ申し上げます。

以前から地名を守らう、復活させようといふ声はありますが、現在、埼玉県八潮市愛知県名古屋市などに於けるその声が特に目立つてゐます。
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八潮市の件(ここをクリック)
「思いとどまってほしい」。市民や専門家らが声を上げた。
(中略)垳町会長の島根秀行さん(72)は「八潮にしかない垳は、文字の文化遺産
歴史がある『垳』を大切にしてほしい」。同市の大学職員、昼間良次さん(38)も
「垳という地名を、もっと全国にPRすべきだ」と市に意見書を送り、方針変更を要望した。
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名古屋市の件(ここをクリック)
旧町名を復活させ、名古屋を元気にしよう!
名古屋の昔の町名が失われて久しいです。例えば、長者町とか、茶屋町とか、御園町とか、
素晴らしい歴史のある由緒ある地名がなくなってしまったことは、名古屋人にとって寂しいことです。
地名は、歴史そのものだからです。その地名を消してしまうことは、歴史そのものの喪失と同じです。
昔の由緒ある地名を復活させたい、そう思っている人は多いはずです。
そこで名古屋の旧町名を復活させる有志の会を発足しました。
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宇都宮の地名も、守りませんか。