今日は、地元の『あんしんネット横須賀』主催イベントに前職の同期と参加してきました

逃げ遅れる人々 上映会 in 横須賀
@総合福祉会館


2011年3月11日に起きた東日本大震災。

そこで暮らしていた障がいのある方々に何が起きたのか?
福島県を中心に、被災した障がいのある方々と、そこに関わる人たちの証言をまとめたドキュメンタリー映画。

東日本大震災障害者救援本部が制作したもので、amazonから購入できます。


逃げ遅れる人々東日本大震災と障害者 [DVD] 団体・ライブラリー版(上映権つき) (<DVD>)

↑のものは上映権付きで¥10000。
団体向けです。

上映権なしの一般向けはこちら↓ ¥3000なり。

逃げ遅れる人々[DVD]一般版: 東日本大震災と障害者 ()


上映会は、この作品の上映に始まり、
横須賀で鍼灸師として活躍している視覚障がい当事者の倉さん、
そして主に知的障がいの方々の地域生活支援を行う特定非営利活動法人あまねの代表海原さん、
さらに、横須賀市市民安全部危機管理課で防災を担当している鈴木さんの講演があり、
とっても充実した内容でした



こちらはあんしんネット横須賀代表の増田さん


ドキュメント映画は、観ていて衝撃的でした。

被災地の被害はニュースからたくさん伝わってきます。
学会や研究会などで、震災での障がい者の死亡率が2倍であることや、
仮設住宅の構造上の問題からユニバーサルデザインを検討するなど、
色んな報告は聞いていたけれど、
リアルな声はほとんど耳に入ってきませんでした。

震災から2年半が過ぎて、だんだんと関連する情報も少なくなってきているし・・・
ますますこういった声は届きにくくなるのかもしれない。

この時期に、考えることができたのは、本当に良い機会だったと思います。


映画には、福島の方々が中心に登場します。
原発の避難区域の方。

強制的に非難し、避難所でのバリアに苦しむ生活。
涙を流しながら、「何があっても、家に帰りたい。」という姿が苦しかった。

避難するか、残るのか。
選べる人たちの姿。

障がいがあるから、避難所にはいけないと判断した人。

避難所に行ったら、「障がいがある人は家に戻ってほしい」と言われた人。

身体を考え、施設入所を勧められるものの、県外で自分の暮らしを模索する人。

集団避難をして暮らす人。

選んで、家に戻って暮らす人。


いろんな生活がそこには映っていました。

子どものことを一番に考えても、「正解」はわからない。
放射能から逃げることが正解なのか。
変化でパニックになってしまうから、残ることが正解なのか。

仮設住宅や避難所で、不便な生活をすることが正解なのか。
放射能の不安を抱えながらも、暮らしやすい自分の家で生活をすることが正解なのか。


いろんな選択肢があって、それぞれが考えに考えて選択しているのに、
そこにいる人たちの目には涙が浮かぶ。

誰にも「正解」はわからない。

だけど、誰もその選択に、満足も納得もできていない。

そこが苦しみなんだと感じました。


被災者の涙が、とにかく辛かった。



私は、震災当日、特別支援学校の教員でした。
停電し、信号機が使えない、電話もつながらず保護者とも連絡が取れない。

ほとんど迂回路のない一本道しかない道路を走る5台のスクールバス。
普段は介助員のみが同乗するのですが、この時だけは、教員も同乗。
バス担当だった私も同乗し、不安なままいつものコースを45分遅れでスタートしました。

全部の児童生徒を保護者に引き渡し、バスが学校に戻ったのは20時過ぎ。


私は海岸線を通るコースが担当でした。
携帯電話からはほとんど情報が得られず、津波の警報が出ていたことなんて知りませんでした。

途中、野比の海岸線で警察に止められ、通行止めだから迂回するように指示されました。

通行止めと言われても、その先のポイントで保護者が待っている。
電話で連絡もできないのに、迂回しても保護者に引き渡せない。
子どもたちのストレスも溜まっているし、保護者以外に彼らの面倒を見れる人はいない。

どうしても、先のポイントにいる保護者に引き渡さなくちゃいけないんだと、
運転手さんからも警察の人を説得してもらって、パトカーの先導で通行止めを突破。
無事に保護者に引き渡すことができました。

後になって、管理職から私の判断は間違っていたと批難されるわけですが…


でも、あの時はそうするしかなかったと思います。

私はあの時、津波の映像を見ていなかったから、津波の恐ろしさなんて微塵も感じていませんでした。
だから、あんな強気に出られたんだろうなと、今なら思います。

今だったら、津波の恐怖で、迂回する判断をしていたと思います。


でも、迂回して、その後は、どうすれば良かったんだろう・・・。
と当時を思い出すたびに考え込んでしまいます。


「津波が来ていたらどうやって責任を取ったんだ」
と管理職に怒られるのは当然だと思います。

でも、いくら反省しても他の方法を思いつけません。
今も、正解がわからない。

迂回したとして、保護者に連絡がつかなくて、そうなった状態ではどうしたらよいのか?

保護者はバスポイントで待っているのに。
どこに避難するとも伝えられないのに。


この子たちを連れて、避難所に行けば安心だなんて、絶対に言えない。

自閉症の子は、急な場面転換や予定変更が苦手で、多くの人がいる避難所での生活はすごくストレスがかかります。
てんかんなどの発作を持っている子もたくさんいるし、常時薬を飲んでいる子もいます。

「とりあえず」避難しても、安心することはできないと思うんです。

緊急時で、通常の介助員2名にプラスで教員が2名乗っていたけれど、
それでも、10数名の子どもたちの安全を確保するのは難しいと思うんです。

もし、バス出発後に地震が起きて、運転手さんと介助員さんだけだったら・・・

たぶん、いや絶対に、無理だって思います。


震災後、バスの中には緊急用の水が少し置かれるようになったけれど、
食料は置けないし、トレイもない。
バスの中での待機は数時間が限界です。

結局、その後私が勤めていた間の避難訓練は、
「何とかしてでも学校に戻る」
という方針で行われていました。

NTTの災害時伝言ダイヤルも、毎月訓練用に使えるときに毎回介助員さんと一緒に伝言確認もしました。

色んなパターンを想定して、避難所へってことも考えたけれど、
運転手さんがけがをして動けないとか、通行止めで戻るルートがないとか、
そういった想定以外は基本的に戻るという方針だったと思います。
(今は違うかもしれないけれど)


もし本当に、横須賀を震源として地震が起きていたら?

そう考えると、ゾッとします。

学校内にいたとしても、停電になれば水道も止まる校舎。(高台にあるんです)
震災当日も、19時ごろにはタンクの水がなくなり、水道が止まりました。
非常用の食料は3日分。
薬も非常用として保健室に保管はしています。

でも、3日間。
教職員だけで、子どもたちを守れるのか?

胸を張って、イエスとは言えません。

保護者に引き渡したら安心か?

でもきっと、この映画のように、
「避難所にはいけない」
という家庭が多くあるだろうと思います。

子どもたちの面倒を見ながら、配給を取りにいけるのか?
それもまた難しい場合もあるんじゃないかなって思います。


もっと、地域に繋がりを作っていかないと。

何かあった時に、「助けて」と言える関係を作らないと。


あの経験をした、数か月後、私は退職を決意しました。

繋がりを、作らなくてはいけないって思って。


地元に、こうやって要援護者をどうするのかということを、真剣に考えている団体があるというのはとても心強いと思いました。

活断層もあるし、海と共に生きる街。
震災が起こることは覚悟していないといけない国。

障がい者だけでなく、高齢者も多いし、
車の入れない道も多いし、外国人もたくさん。

当時抱いた思いが、時間と共に薄れてしまっていたけれど、
私も、一人の横須賀市民として、真剣に考えていきたいと、今日の機会に改めて思いました。


あの涙は一度でいいはず。
震災が起きた事実を消すことができないならば、
私たちは、悲しい涙を一つでも減らすために生かしていくしかないんだと思いました。