
昨日、リブロ池袋本店の児童図書コーナーで、
一目惚れ ならぬ 立ち読み惚れ しました

絵本が好きで、最近またちょこちょこ買い集めるようになりました。
きっと子ども哲学でそのうち使えるだろうとという良い言い訳を見つけたのでw
この本のタイトルは
『りんごかもしれない』
ヨシタケシンスケ 作画
もうね、ツボです。
可愛すぎる。
子どもたちが読んだら、どんな反応するんだろう。
そう考えただけでもワクワクしちゃう

小学校の教員だったら、この本何かの機会に使いたいって思うかもしれない。
大人もワクワクする作品です

内容は、タイトル通り。
たくさんの「りんごかもしれない」が詰まっています。
家においてあった1個のリンゴに対して、少年の妄想が爆発。笑


「大きなサクランボの一部かもしれない」
に始まり、
「実は何かの卵なのかもしれない」
と、りんごではない可能性を考えていたかと思えば、
「もしらしたらりんごはこうなりたかったのかもしれない」
といった妄想が広がり、
「きょうだいがいるかもしれない」
「食べたらこうなるかもしれない」
などなど、
りんごに関するあらゆる方面に妄想が膨らんでいきます。

この想像力の豊かさに感動します

この本だけでもすごい発想ですが、きっと子供はもっと上を行くはずだ
って思って、子どもに読ませたいと買ってしまった。子どもいないけど。笑
この本読んでいたら、教え子のことが頭に浮かびました。
教員時代、チョコレートが大好きな子が、
ガンとしてパンに塗るチョコスプレッドを食べようとしなかったことがあって。
どっからどう見てもチョコレートの色だし、味だってチョコレートなのに、頑なに口を開かない!
「チョコだよ!」
っていうと言葉に反応してこっちをちらっと見るのに、
訝しげに見て
「ふんっ!」
って感じで無視されて。笑
食べたら絶対喜ぶのに~って思って、よそ見した瞬間にすかさず口の中にチョコスプレッドを入れました。
勝手に入れられたことに数秒怒りつつも、
あれ??ひょっとして今のチョコレートじゃない

??みたいな感じでキラキラして目で私を見つめ返してきたから、
チョコスプレッドを見せて、
「これ、チョコです。」
というと、それからはもう何も疑わずにパクパク食べていました。
カレーが好きな子で、キーマカレーもひよこ豆のカレーもドライカレーも食べるのに、シーフードカレーだけは食べないという子もいました。
生のニンジンが好きな子で、スティックのニンジン以外(薄切りの丸いカットとか)は絶対に食べないという子もいました。
スープがお味噌汁の椀に入っていれば食べるけれど、カレー皿に入っていたら絶対に食べないって子もいました。
もしかしたら彼らも、この本の子と同じように、
「チョコかもしれない。でも、本当は・・・・・かもしれない。」
と考えていたのかもしれない。
それか、もっと細かく、
「○○で○○なものがチョコ!」
って認識していたから、その枠を崩せなかったのかもしれない。
この絵本を読んで、いろいろ考えると、
私たちは何をもって「りんご」とか「チョコ」とかを決めているのかなぁということが、気になりだしました。
チョコで芸術作品のようなものを作る人がいるけれど、
加工しちゃって食べられない状態になったチョコは果たしてチョコなのだろうか。
もし、見た目も味もりんごと同じだけど、サクランボの木になった大きなサクランボの片方だったら、
それはサクランボなのかりんごなのか、私たちはどうやって決めるんだろう。
「りんご」は見た目で決まるのか、味で決まるのか。
りんごの木になるものがりんごなのか。
接ぎ木した場合は、根本の植物のものなのか、付け足した方の木なのか。
考えだしたらきりがない。
だけど、よくよく考えてみると、概念だけを操って生きていたことにふと気づく。
私が出会ってきた子どもたちが、言葉の指示で混乱していたのは、こうゆうところにあったからなのかもしれない。
頭の中のいろんなところを刺激される絵本でした。
どのコメントがBEST1か決めてみるのも面白いし、
部屋にあるもので、「これは●●かもしれない」って考えてみるのも楽しいかもしれない。
気になった方はぜひ☆
りんごかもしれない