うーーーん。。と悩んでしまった。
私が昨年の末頃から関わりだしたフリーマガジンの活動。
私自身が抱いていたやりたいことにすごく近い気がして、研究活動と合わせて自分なりに頑張っていたつもりです。(自分なりにです。周囲の評価はとっても低いと思います。。。)
でも、なんだか自信がなくなったというか、迷路に迷い込んでしまったような気がします。
先日、ご家族に障がいのある方がいらっしゃるという方に冊子をお渡ししました。
冊子を見て、取り組みに共感してくださったものの・・・
その方のご家族は、身体的にも知的にも重度の障がいがあるそうで、
『「障がい者のため」のマガジンであっても、私の妹ははじかれてしまうんですね。』
がっかりしてしまった。とおっしゃっていました。
活動にがっかりしたのではなく、「健常者っぽい」読者モデルと自分の妹の違いに、自分自身が家族の存在を受け止めきれていないことに実感してしまったという意味でのがっかりだったそうですが・・・
それを言われてなんと返したら良いのかわからなくなってしまいました。
日頃から、「障がい者」ってカテゴリーは、「健常者ではない」ってことしか意味しておらず、障がい者カテゴリーに当てはまる人々に共通するものはほとんどないと思っています。
私たちが一人ひとり個性があるように、当たり前のように障がいのある方々も一人ひとり違います。
それを「障がい者」ってカテゴリーで括ってしまうことで、制度面での支援などは受けやすくなるのかもしれないけれど、個人の要素が見落とされるようになってしまいます。
結局、自分で自分の主張を捻じ曲げるようなこと、しちゃってたのでしょうか。。。
「障がい者のための」って言いながら、私自身「障がい者」って誰のことよ?って思っているから、気持ちがぶれてしまうのか。。
だからなのかわからないけれど、教員仲間には冊子を渡せるけれど、教え子のお母さんたちに渡せない自分がいるのかなって思いました。
「アクティブ障がい者」向けって思うことがしっくりくる感じなのかな。。
障がいの程度によって、自分から情報をキャッチして、理解して、発信して、ってことが難しい人たちがいます。
その方たちの生活には家族とか支援者の存在って不可欠で、みんながみんな、ヘルパーをつければ一人暮らしができるわけじゃない。
でも、その方たちが、家族や支援者と一心同体なんだって思っていいのか、私にはわからない。。
どんな状態であっても、意思は必ずあると思うし。。
でも、そう考えた時、本当に当事者が欲しい情報ってなんなんでしょう?
また、その家族たちが自分たちのためのものって思える情報ってなんなんでしょう?
わからない。
私が本当にやりたかったことって、意思が発信できないと思われてしまう重度と言われる人たちの幸せを考えたいってことだったはず。
今やってることはゴールに向かう経過点だと思っていたけれど、ものすごく横道にそれてしまっているのかもしれない。
私のやりたいことってなんだったのでしょうか・・・。
うーんと、唸りつつ、今日はこれからカウントダウンの始まった営業のお仕事です。
私が昨年の末頃から関わりだしたフリーマガジンの活動。
私自身が抱いていたやりたいことにすごく近い気がして、研究活動と合わせて自分なりに頑張っていたつもりです。(自分なりにです。周囲の評価はとっても低いと思います。。。)
でも、なんだか自信がなくなったというか、迷路に迷い込んでしまったような気がします。
先日、ご家族に障がいのある方がいらっしゃるという方に冊子をお渡ししました。
冊子を見て、取り組みに共感してくださったものの・・・
その方のご家族は、身体的にも知的にも重度の障がいがあるそうで、
『「障がい者のため」のマガジンであっても、私の妹ははじかれてしまうんですね。』
がっかりしてしまった。とおっしゃっていました。
活動にがっかりしたのではなく、「健常者っぽい」読者モデルと自分の妹の違いに、自分自身が家族の存在を受け止めきれていないことに実感してしまったという意味でのがっかりだったそうですが・・・
それを言われてなんと返したら良いのかわからなくなってしまいました。
日頃から、「障がい者」ってカテゴリーは、「健常者ではない」ってことしか意味しておらず、障がい者カテゴリーに当てはまる人々に共通するものはほとんどないと思っています。
私たちが一人ひとり個性があるように、当たり前のように障がいのある方々も一人ひとり違います。
それを「障がい者」ってカテゴリーで括ってしまうことで、制度面での支援などは受けやすくなるのかもしれないけれど、個人の要素が見落とされるようになってしまいます。
結局、自分で自分の主張を捻じ曲げるようなこと、しちゃってたのでしょうか。。。
「障がい者のための」って言いながら、私自身「障がい者」って誰のことよ?って思っているから、気持ちがぶれてしまうのか。。
だからなのかわからないけれど、教員仲間には冊子を渡せるけれど、教え子のお母さんたちに渡せない自分がいるのかなって思いました。
「アクティブ障がい者」向けって思うことがしっくりくる感じなのかな。。
障がいの程度によって、自分から情報をキャッチして、理解して、発信して、ってことが難しい人たちがいます。
その方たちの生活には家族とか支援者の存在って不可欠で、みんながみんな、ヘルパーをつければ一人暮らしができるわけじゃない。
でも、その方たちが、家族や支援者と一心同体なんだって思っていいのか、私にはわからない。。
どんな状態であっても、意思は必ずあると思うし。。
でも、そう考えた時、本当に当事者が欲しい情報ってなんなんでしょう?
また、その家族たちが自分たちのためのものって思える情報ってなんなんでしょう?
わからない。
私が本当にやりたかったことって、意思が発信できないと思われてしまう重度と言われる人たちの幸せを考えたいってことだったはず。
今やってることはゴールに向かう経過点だと思っていたけれど、ものすごく横道にそれてしまっているのかもしれない。
私のやりたいことってなんだったのでしょうか・・・。
うーんと、唸りつつ、今日はこれからカウントダウンの始まった営業のお仕事です。