今日、一つの決断を下しました。
退職を決心は去年の7月末。
退職が決定したのは10月上旬。
大学院に進学が決定したのは10月中旬。
去年だけで、大きな決断をしたと思っています。
特別支援の教員という仕事は、自分にとって天職だと思っています。
仕事が嫌だと思った日が、全くなかったわけではないけれど、
子どもたちと一緒にいた時に思ったことは一度もありませんでした。
だから、辞めるのにはすごくすごく迷いました。
でも、自分にはやらなきゃいけないことがあるって思ったから、
子どもたちのために自分が少しでも貢献できるなら、
その可能性に賭けてみたいと思いました。
4月から、母校の大学院に戻り、
所属ゼミも卒論でお世話になったところに。
教育社会学の構築主義がメインのゼミです。
理論的な学問から離れていた3年間のブランクは大きいなぁと毎日思いながら、前期間を過ごしました。
なかなか、教育社会学のゼミでは話についていけない。
しかし、学習権や教育哲学では、スッと理解できたり、積極的に発言できたりする自分がいました。
所属ゼミじゃないから、気楽なんだろうな。
としか、思っていませんでした。
なんとなく、楽しさやワクワク感の湧いてこない、悶々とした日々を過ごすこと2か月。
だんだんと、眠れない日が続き、体調を崩した夏休み。
私が辞めてまでやりたかったことは何だったんだろうか。
完全に道に迷っていました。
教育社会学では、やりたいことが達成できないと言い切る自信もありませんでした。
でも、やりたいことであると、胸張って言えない状況でした。
むしろ、興味を持てない内容の方が、圧倒的に多かった。
大学院にかける時間は5年のみ。
そうやって、自分にリミットを決めていたからかもしれないけれど、
興味を持てない内容に時間を費やすのが苦痛で仕方なく、
ドツボにはまってしまってました。
漠然と、悶々と、なんとなく。
どんどんと、時間が過ぎていく。
私の5年間は、もう10%終わっています。
焦る気持ちばかり。
教育社会学をやっていくと、言えない自分にいら立ちます。
そんな中、教育哲学にわくわくする自分に気づきます。
でも、教育哲学が自分のやりたいことだと言い切る自信もありません。
なんとなく、教育社会学じゃできないような気がして、
なんとなく、教育哲学ならできるような気がして。
でも、なんとなくだから、決心できなくて。
抜け出せなかった。
そして、誰に相談したらいいのかも、わからなかった。
ふとした時に吐露した自分の心情に、
寄り添ってくれる人がいました。
たぶん、自分の中ではやりたいことは明確になっていたんだと思う。
だけど、絶対にこの学問でできるんだ!と言い切るだけの知識がなくて、
反論されることが怖くって、決断を下せずにいました。
そんな私を見透かすように、
「今のやってることは、本当にやりたいことなの?
今まで聞いてたやりたいことと、全然違うでしょ。
自分のやりたいことは、こっちだってわかってるんじゃないの?」
ズバッといわれました。
そうなんです。
わかっていたんです。
ただ、自信が持てなかった。
退職するって決断ができたのに、なんでこんなことで立ち止まっていたんでしょう。
なんで、こんなことなのに、誰かの後押しを必要としていたんでしょう。
自分でも不思議です。(笑)
今日、ようやく所属ゼミの先生に意向を伝えることができました。
まだまだ漠然とした想いしかないのだけれど、
漠然としていて、抽象的なんだけれど、
具体的に呈示された未来像よりも、抽象的な未来像の方が私の夢に近いんだと、ようやく気づくことができました。
ただ、やっぱりちょっと不安にはなってしまって。
午後の授業は、ちょっぴり上の空。
そんな時、やっぱり神様っているのかなって思ってしまう出来事が。
午後の授業は福祉学部の授業で、
今日はたまたまチャイルドライフスペシャリストの方がゲストで来ていました。
ゼミ生は、キリスト教研究者と、就活生という異色のメンバーなんですが、
先生が就活生に向かって言った一言が、私を後押しする一言だと思ったんです。
「Nさん(CLSの方)は病気の子供の力になりたい、
Sさん(キリスト教研究者)は、キリスト教の力で人の力になりたい、
Mさん(私)は、障がいを持った子どもたちの力になりたい。
みんな、今やっていることは、自分のやりたいことなんだよ。
だからみんな、強いんだよね。
Hさん(就活生)、3人みたいに自分のやりたいことを見つけるんだよ。」
私の決断は、きっと間違っていなかったんだと思います。
自分の本当にやりたいことを選んだから。
ちょっと心が乱れてしまうと、すぐに人の言葉に左右されてしまう傾向がありますが、
もうきっと、自分の信念だけはゆがまない。
去年から、何度も決断を下す場面に遭遇しましたが、
最終的な決断理由はいつも同じ。
これが私のやりたいことなんだ。
ようやく、胸張って言えるようになりました。
職業的にどうゆう道を進むのかなんてわかりません。
研究職にはなれないかもしれない。
現場に戻るのかもしれない。
でも、最終的には、障がいを持った子どもたち、その家族を含め、
社会のみんなが持って生まれた自分の身体や才能を、否定されずに生きる社会を作ることに関わりたい。
自分の心が弱ってしまうときは、
きっと、自分の本当にやりたいことと合っていない時なんだと思います。
ぴったり合っている時は、本当に強くいられます。
私は、自分のやりたいことをやる。
だから、強くいられるんだと思います。
もう、決断したことに迷わないし、後悔もしない。
間違ってなかったと胸張って言えるまで歩み続けると決心したから。