僕が子どもだった時のはなしをしよう。
僕が子どもを寝かしつける時
背中をトントンしてあげるんだけど
そのたびに思い出す
子どもの時のはなしだ。
うちの家には
ほんとに色んな人が出入りしていて
週末になると
ギターを持ったおっさんたちが集まって
酔って歌を歌っていた
うちにはテレビがなかったけど
おんちゃんや親父の歌う歌や
そこに流れる音楽のおかげで
音楽に関しては敏感になった
そんな人たちと
夏にはよくキャンプにいってた⛺️
その時も
やっぱり歌を歌ってた
で、なんの時か分かんないんだけど
たしか 知的障がいをもった人たちと
キャンプに行った時のこと
たしか大正のほうに
暑い暑い夏の夜だった
テントの中で
なぜだかぼくは
知的障がいの大人の人と一緒に寝ていて
でも暑くて寝られたもんじやなかった
すると
横にいたその人が
暑そうにしているぼくを
団扇で扇ぎはじめた
ゆっくりゆっくり
とても優しく扇いでくれた
ぼくが寝るまで ずーっと
そして お腹のあたりを
トントン トントン と
ぼくが寝るまで ずーっと。
そうしてぼくは 眠りに落ちた。
眠りに落ちながら
ぼくは思った
なんでこの人は
自分も暑くて眠たいはずなのに
ぼくのことをずーっと扇いでくれるんだ?
そうか
知的障がいの人って
ぼくらよりも ずっと優しいんだ
ぼくらよりも
人のことをきちんと考えてくれる人なんだ
純粋に そう思った。
その時の経験が
今でも忘れられなくて
子どもをトントンするとき
団扇で扇いであげるとき
いつだって思い出してしまう。
あの優しかったおんちゃんは
いったい誰だったんだろう
もしかしたら
お兄ちゃんだったかもしれないけれど。
だから ぼくの意識の中には
障がいを持つ人は
ぼくらよりもうんと優しい
というイメージがへばりついてる。
子どもの頃の経験って
人生を歩むうえでこの上なく
この上なく 大切になるんだ
っていうはなし。
もしかしたら
うちの両親は
そんなことを考えて
あの人と一緒にさせたのかな
今となっては分かんないけど
子どもをトントンしながら
今夜もあの人のことを思い出して
あの時は ありがとうございました
って この文章を書きながら
また思い出してます。
トントン トントン。
