救急車で運ばれたのが、午後2時頃
夜8時すぎやっと脳神経外科の先生の説明
癌性髄膜炎になっていて、予後不良だと告げられた
その説明の頃にはもう疲れ果てていて、予後不良だと聞いてもボーッと話を聞いているだけだった
帰る前に夫に帰るからねと声をかけると、薬で眠っているけど、うなずいてくれた
もう心も体も本当に疲れ果てて家に帰ってから、そのまま寝てしまった
翌朝、目はボンボンに腫れてて仕事は休ませてもらった
精神的にも仕事は無理な状態
救急車で運ばれてから2日後、昼頃夫から電話がかかってきた❗️
えっ!電話かけれるの?
すごく驚いた。うれしかった
話も虚な感じで、うんうんし言わず、記憶も曖昧だったけど、また話をする事ができて本当に嬉しかった
その翌日、家族みんな会わせてもらえる事になり、みんなで会いに行った
思いの外とても元気だった
私はあの時の様子を見てるから普通の状態に戻ってくれた事がすごくうれしかった
救急車で運ばれてから5日後、呼吸器内科の担当医からの説明のため、病院へ行く事に
腫瘍マーカーが上がり続け、ひどい頭痛に悩まされていたのは、癌性髄膜炎になっていたから
なんで?
何度も頭が痛いって言ったのに
なんで、髄液の検査してくれなかったの?
発作が起こらなければわからなかったの?
担当医に思いをぶつけてしまったけど、先生は肺の専門だから頭痛は脳神経内科の先生にも診察を依頼し、診てもらってた
夫も我慢強いから、診察の度に痛いとは言っていなかったから、そこを疑わなかったのかなぁ
癌性髄膜炎ネットでいっぱい検索した
無治療で2.3ヶ月
残念な事に、良くない事しか書かれてない
事実を知って、またいっぱい泣いた
癌性髄膜炎て、頭が割れるくらいひどい頭痛だそう
そんなに苦しかったんだと思うと本当にかわいそうで、4ヶ月も原因がわからずつらかっただろうなと思った
近くにいたのに、何もしてあげられなくて
もう今さら前の事を言っても仕方ない
今は今後の事を1番に考えなくちゃ!
これから、どうしていくかが大事
先生も髄膜に癌がいってしまうと、もうお手上げ状態で、ほぼ治療方法がない
でも、その中でも先生は最善の治療を考えてくれた
①タグリッソを再度チャレンジ
②抗がん剤治療
③免疫治療
④緩和ケア
1番可能性があるのは、①のタグリッソ再チャレンジ
でも、2回目となると、間質性肺炎も前より重篤になり、死ぬ可能性がある
家族に選択を託された