腸重積・・・続きの話です。
すったもんだの末、危ういところでしたが、手術は無事成功した長男。
前回にの記事にも書きましたが、
腸は血流が回復して切らずに済みました。
ただ、一度でも手術をすると、腸が癒着するのは避けられない・・・
つまり、次に手術する時がちょっと厄介なので、
将来の危険を少なくするため「盲腸」は切除されました。
一晩回復室にいることになり、いったん家へ。
長男が生まれて初めての外泊。
寂しさと心配はもちろんでしたが、
まだ母乳がしっかり出ていたので、一晩で漬物石状態になったおっぱいが結構辛かったです(T_T)
さて、翌朝。
回復室を出たら付き添えるということだったので、準備して病院へ行きました。
そして、長男に面会。
ちゃんといい子にしてたかな、元気かな、大丈夫かな・・・。
一晩ぶりに見る長男の顔は・・・・・・・・
顔面に大きく『人間不信』と書いた札を貼り付けたような顔でした。
呼びかけて、私の顔を見ても、
見ているのに、私の顔がわからない様子。
痛い思いをして、気がついたらいつもいる母もいなく、
看護師さんたちは優しいけれど、知らない人ばかりのなかに1人取り残された。
・・・・もうどうでもいい・・・・感情を閉ざした顔つき・・・。
あきらめた顔。
私は何度も、名前を呼び続けました・・・。
数分経ったでしょうか・・・もっと短かったかもしれませんが、とても長く感じられました。
ボーっと見つめていた瞳に、ふっと光が宿り、
一瞬笑うように顔が緩んだ次の瞬間、ヒクヒク嗚咽。
そして大きな声で泣き出して、抱きついてきました。
「おかえり。」
後で、看護師さんに様子を伺ったところでは、
やっぱり担当の看護師さんに慣れるまでちょっと大変だったということでした。
でも一通りぐずって、どうにもならないと悟ってからは、
ちゃんとミルクも飲み、じっと我慢の子・・・だったんだそうです。
「おつかれさま。よく頑張ったね。」
それから3日、退院するまで、
家にいたときのようにべったりくっついて過ごした長男。
何事も無かったかのように、元気に、表情も明るく、元の長男に戻っていました。
親と離れたことの、心の傷・・・?
もし長男が乳児期から、保育園にお世話になっていたり、他人の中で時間を過ごすことに慣れていたら、傷にすらならない些細なことなのかもしれませんが。
彼自身は、「閉じこもる」という防衛手段で、心を守って、
「安心」の鍵で扉を開けることが出来ました。
(時間も短かったですし・・・ね)
20年経った今はもう忘却のかなたですしね~。
しかし、親のほうは、小さな棘が刺さっているみたいに、なかなか忘れることができないものですね。
傷ついた子どもの顔は、
なんて親の心を切なくさせるものなのでしょうか・・・。
今でも長男のあの表情を思い浮かべることができるんです。
・・・・そして、蛇足的後日談ですが。
またいつもの日常が戻り、お祖父ちゃんお祖母ちゃん達と、
「親バカビデオ」鑑賞会をやっていた時のこと。
「あ~!」
「もしかして腸重積の原因かも~?」
と、指摘された映像。
スケート選手の○回転ジャンプのごとく、息子を投げ上げ一回転させてキャッチする夫と、
これまた、それが楽しくてキャッキャと笑い転げている長男の姿が映し出されていました。
(※良いお父さんお母さんは決して真似しないことをお勧めします(-_-;)
すったもんだの末、危ういところでしたが、手術は無事成功した長男。
前回にの記事にも書きましたが、
腸は血流が回復して切らずに済みました。
ただ、一度でも手術をすると、腸が癒着するのは避けられない・・・
つまり、次に手術する時がちょっと厄介なので、
将来の危険を少なくするため「盲腸」は切除されました。
一晩回復室にいることになり、いったん家へ。
長男が生まれて初めての外泊。
寂しさと心配はもちろんでしたが、
まだ母乳がしっかり出ていたので、一晩で漬物石状態になったおっぱいが結構辛かったです(T_T)
さて、翌朝。
回復室を出たら付き添えるということだったので、準備して病院へ行きました。
そして、長男に面会。
ちゃんといい子にしてたかな、元気かな、大丈夫かな・・・。
一晩ぶりに見る長男の顔は・・・・・・・・
顔面に大きく『人間不信』と書いた札を貼り付けたような顔でした。
呼びかけて、私の顔を見ても、
見ているのに、私の顔がわからない様子。
痛い思いをして、気がついたらいつもいる母もいなく、
看護師さんたちは優しいけれど、知らない人ばかりのなかに1人取り残された。
・・・・もうどうでもいい・・・・感情を閉ざした顔つき・・・。
あきらめた顔。
私は何度も、名前を呼び続けました・・・。
数分経ったでしょうか・・・もっと短かったかもしれませんが、とても長く感じられました。
ボーっと見つめていた瞳に、ふっと光が宿り、
一瞬笑うように顔が緩んだ次の瞬間、ヒクヒク嗚咽。
そして大きな声で泣き出して、抱きついてきました。
「おかえり。」
後で、看護師さんに様子を伺ったところでは、
やっぱり担当の看護師さんに慣れるまでちょっと大変だったということでした。
でも一通りぐずって、どうにもならないと悟ってからは、
ちゃんとミルクも飲み、じっと我慢の子・・・だったんだそうです。
「おつかれさま。よく頑張ったね。」
それから3日、退院するまで、
家にいたときのようにべったりくっついて過ごした長男。
何事も無かったかのように、元気に、表情も明るく、元の長男に戻っていました。
親と離れたことの、心の傷・・・?
もし長男が乳児期から、保育園にお世話になっていたり、他人の中で時間を過ごすことに慣れていたら、傷にすらならない些細なことなのかもしれませんが。
彼自身は、「閉じこもる」という防衛手段で、心を守って、
「安心」の鍵で扉を開けることが出来ました。
(時間も短かったですし・・・ね)
20年経った今はもう忘却のかなたですしね~。
しかし、親のほうは、小さな棘が刺さっているみたいに、なかなか忘れることができないものですね。
傷ついた子どもの顔は、
なんて親の心を切なくさせるものなのでしょうか・・・。
今でも長男のあの表情を思い浮かべることができるんです。
・・・・そして、蛇足的後日談ですが。
またいつもの日常が戻り、お祖父ちゃんお祖母ちゃん達と、
「親バカビデオ」鑑賞会をやっていた時のこと。
「あ~!」
「もしかして腸重積の原因かも~?」
と、指摘された映像。
スケート選手の○回転ジャンプのごとく、息子を投げ上げ一回転させてキャッチする夫と、
これまた、それが楽しくてキャッキャと笑い転げている長男の姿が映し出されていました。
(※良いお父さんお母さんは決して真似しないことをお勧めします(-_-;)